った。帯刀の金の飾りが、ちらちらときらめいていた。
「お女中、御同様とんだ難儀だの」
と、いった。そして、向こう側の、供らしい仲間《ちゅうげん》をかえりみて、笑った。お高は、気がついて、あわてて手を引っこめた。その士《ひと》は、用たしの帰りにでもこの騒擾《そうじょう》にまきこまれたらしく、かえりを急ぐとみえて、いらいらしていた。仲間は、手の、定紋入りの提燈《ちょうちん》をこわすまいとかばって、骨を折っていた。何かいって笑ったが、お高には聞こえなかった。
まだ少年々々している武士の顔が、またお高のほうを向いた。
「手を放すには及ばぬ。しっかりつかまっているがよい。総じて、かような場合には、人の力にさかろうてはなりませぬ。流れに乗った気で、水のごとく、人の押すほうへ押されてゆくのだ」
あはははと笑った。お高は、気やすなお武家だとは思ったが、それかといって、さようでございますかと甘えて、また手を出して腕へつかまることはできなかった。はい、とこたえたつもりだったが、答えたのか答えなかったのか、自分でもわからなかった。彼女は、そこに人にはさまれて立ったまま、気をうしないかけていた。ただ、一空さまと、あの洗耳房の小母さんはどうしたであろうと、瞬間考えた。
三
ぞくっと、寒さが走って、気がついた。屋根からはまだ瓦が降りつづけていた。お高の周囲の人々も、大声にさわぐだけで、誰も、屋根へ上がって行こうとする者は、ないようすだった。
「これはいかん。これでは、いつまでたっても屋敷へ帰れぬ。夜が明けてしまう。まず、あの屋根の上の男を何とかせねば――」
というのが、お高に聞こえた。となりの、色の白い武士の声だった。彼は、そういって、なにか思案しているふうだったが、何事か思いついたとみえて、面白そうに笑って、仲間へささやいた。仲間は、びっくりして、あわてた大声を出した。
「いけません。殿様、そんなことをなすってはいけません」
「なあに。お前は、ここに待っておれ。すぐ帰る」
侍は、さらりと羽織をぬいで、面くらっている仲間の手へ押しつけて足袋《たび》はだしになった。しかたがないので、仲間がその履物《はきもの》を拾い上げて、ふところへ入れたとき、さむらいのすがたは、もう人をかきわけて消えていた。
ことばが、群集の上を、伝わってきた。
「おい、あの野郎は、鷹匠町《たかし
前へ
次へ
全276ページ中170ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
林 不忘 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング