て帰ってしまって[#「帰ってしまって」はママ]、じぶんは、眼立たないように路地に立って、父の久助の出て来るのを待っていたのだった。
 向こうから三人づれの侍《さむらい》が来たので、父娘は道の端によけて通った。三人の足音がうしろのやみに消えてしまうのを待って、久助が、低い早ぐちでいった。
「お駒、父に得心のいくように話してくれ。おめえはさっきおれに、あんなところで何をしているときいたがおれこそ、それをおめえにききてえのだ。あの美男《いろおとこ》の妹などと触れ込みやがって、いずれまたろくでもねえ芝居をたくらんでいるのだろう。いいやそれにちげえねえ。
 考えてもみるがいい。どこの世界に、おのが娘にへいつくばって給仕をする父親《てておや》があるものか。お駒さまが寒気がなさるから熱燗を持ってこいもねえものだ。おめえは主人の客、おいらは奉公人、しかたがねえからばつを合わせてへいこら[#「へいこら」に傍点]仕えてるようなものの、実の親を使い立てしやあがって、罰当たりにもほどがあらあ」
「知らずに行ったら、出て来た変わり者の板さんというのがお父つぁんだったんだから、わたしも驚いたけれど、ああするよりほかないじゃないか」
「聞けあおめえはあの磯屋の旦那の妹てえ看板だそうだが、親のしらねえ兄というのがあってたまるか。おおよそ察しのつかねえこともねえが、いってえどういうわけだ。おめえという女はしたたか者になるに相違ねえと、おれあいい暮らしたもんだが、おふくろが先に眼をつぶって、おめえのこの欺《かた》り同然のしわざを見せねえですむだけが、せめてもよ」
「そんなこといわないでおくれよ」お駒ちゃんの声はちょっとさびしそうだが、別に肉親の情愛がこもっているでもない。
「何も悪いことをしてるわけじゃあないんだもの。ほんとに、何も悪いことをしてるんじゃないよ」
「じゃあ、何をしてる。正直にいってみな。御大家のお嬢さんの装《なり》をして、金持ちの家へ客に来て、とんでもねえ化けこみをしてやがる。いっていこの二年ほど、おめえは江戸のどこにくぐって、何をしていたのだ。熟《う》んだともつぶれたとも、たより一つよこさねえのはどういうわけだ。
 おれはおめえに、できるだけのことをして、嫁の口でもあったら、相当のところへ片づけようと、そればっかりを楽しみにこの年齢《とし》になるまで働いてきたんだ、その親を置きざりに
前へ 次へ
全276ページ中136ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
林 不忘 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング