かに、生きていらっしゃるのでございます。この江戸に」
「あんたは、その女を、知っているのか」
「はい。よく存じておりますでございます」
「若松屋さんも、承知か」
「磯五の内儀は、ご存じないようでございますが、その女が江戸におられますことは、ごぞんじでございます」
「どうしておる、その磯五の妻は」
「良人の磯五さんにすてられましてから、別人のように、かしこくおなりでございます」
「すると、以前は、馬鹿な女であったのかな」
「はい、何ひとつ世間さまのことを知らぬ、愚かなおなごでございました」
「さようか。わたしは、この若松屋惣七という人が好きである。いま会うたばかりだが、何年、何十年|識《し》っておっても、きらいなやつはきらい、ちょっと見たのみでも、これはと思う人は、このもしくなるものだ。友情とは、そのようなものです。ところで、何とかできぬかな。若松屋を助ける方法だが」

      三

 龍造寺主計は、うすぎたない旅の浪人だが、龍造寺主計は、単に子供が好きだというだけで、久しぶりに江戸へ出た記念《しるし》に、縁もゆかりもない金剛寺の一空和尚の学房へ、いささかまとまったものを献じただけでも、あまり金に困っていないことが、わかるのだ。
 事実、龍造寺主計は、庄内《しょうない》十四万石、酒井左衞門尉《さかいさえもんのじょう》の国家老《くにがろう》、龍造寺|兵庫介《ひょうごのすけ》の長子である。長子だが、年少のころから、泰平の世の儀礼一てん張りの城づとめが、いとわしく思われだした主計だ。武士も、この享保《きょうほう》にいたっては、本来の面目をはなれて、すでに、宮づかえの長袖に堕しているというのである。
 当否はとにかく、じぶんの生活をそう感じるようになった龍造寺主計には、全く公卿《くげ》にも似た馴致《じゅんち》と遊楽と、形式と慣習と、些末《さまつ》な事務よりほか何ものも約束しない、奉公の将来が、すっかり、底の見えたものに考えられてきた。あっけなくなった。固苦しく、わずらわしいだけだ。何らの魅惑をも、若い龍造寺主計のうえに、投げなくなってしまった。
 ときどきそういう心理におちることは、何をしていても、誰にでもあるものだが、龍造寺主計も、この無情の風を引きこんだのだといってもいい。ただ、龍造寺主計のは一時ではなくて、長くつづいた。それでも、しばらくは、藩中の変物で通っていた。
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