―どっこいしょっ、と。」
 立てた片膝に両手を突っ張って、狂太郎は、起ち上っていた。
「まいるぞ。」
「どこへ、兄者――。」
「兄者、兄者と、兄者を売りに来てやしめえし――停めるな。」
「うふっ、留めやしません。」
「いずくへ? とは、はて知れたこと。隠密に出るのだ。あんまり、柄に適《はま》った役割りでもねえがの。」
「というと、いずれかの方面に、何かお心当りでもおありなので――。」
「ねえんだよ、そんなものあ。」
 いいながら、狂太郎は、馬鹿ばかしく長い刀を、こじり探りに落とし差して、
「だが、犬も歩けば棒に当たる。あばよ。」
 もう、土間へ下り立っていた。
 そして、うら金のとれた雪駄《せった》をひきずって、すたすた通用門へかかると、
「通るぞ。雑魚一匹!」
 破れるような声で門番の足軽へ呶鳴って、さっさと松阪町のとおりへ出た。


   綿流し独り判断

      一

 が、すぐ門のそとに立ちどまって、往来の左右へ眼をやった。
 年の瀬を控えて、通行人の跫音のあわただしい街上だ。
「東西南北――はて、どっちへ行ったものかな?」
 笑いをふくんだ眼で、狂太郎はそうひとり言をいっ
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