をうごめかして、「この手、ほら、この、おれの手を取る手が――おめえ、柔術《やわら》は、相当やるのう。」
 もう、止むを得ないと見て、新六は、押入れのほうへ行った。そこに、武林のと二本、道中差が置いてあるのだ。
 変な侍が押し上ったので、心配してついてきた宿の番頭や女中たちのおどろいた顔が、廊下からのぞいていた。かれらは、武林と狂太郎の白眼《にら》みあいと、そして、新六が刀のあるほうへ行ったので、ぱっと逃げ散った。

      二

 しかし、どっちも刀を抜きはしなかった。間もなく、佐原屋の亭主と、同宿の長老というわけで、垣見吾平、小野寺十内、村松喜平などがその部屋へやって来て、二人のために、狂太郎のまえに頭を低《さ》げた。
 狂太郎は、長いあいだ一同の顔を見まわしていたが、
「うむ。そうか。いや、大事の前の小事だからな。」
 と欠伸《あくび》まじりにいって、どんどん梯子段を下り、佐原屋を出て行った。
「斬ったほうがいい。」
 唯七が、刀を引っ提げて起とうとするのを、垣見吾平がとめたとき、下の往来から、小鳥の啼くような不思議な声が聞えて、それがだんだん遠ざかって行った。狂太郎は、口笛を吹きながら、立ち去って行くのだった。口笛というものを、この人たちは、はじめて聞いたのだ。
 吉良の屋敷内の長屋へ帰ってくると、狂太郎は弟の一角に、
「馬鹿あ見たよ。赤穂の浪士が江戸へはいって来る模様など、すこしもねえぞ。心配するな。それより、こんなに働いてまいったのだから、どうだ、一升買え、いいだろう一升――。」

      三

 この清水狂太郎のことは、いくら調べてみても、どうも審《つまびら》かでない。
 ただ、日本橋石町三丁目の小山屋弥兵衛方に落ちついた大石の一味は、あとでは、この旅館の裏に借屋住いをして、あの潜行運動を進めたのだったが、吉良のスパイが、その付近に出没するようになった。
 するとそのスパイがまた、何者にとも知れず、よく斬り殺されたものだが、そのときは必ず、口笛の音が聞えたそうである。
 そして狂太郎は、相変らず、吉良邸の弟の部屋で、酒に酔って終日寝ていたと某書にあるから、十二月十四日の夜も、やはりそこにいたのであろう。するときっと、かれも、一角や小林平八郎、柳生流の使い手だった和久半太夫、新貝弥七郎、天野貞之丞、古留源八郎などと一しょに、相当眼ざましく働いて、斬り死にしたものに相違ない。はっきりした記録が残っていないからわからないが、奥田孫太夫が庭で相手取った一人に、青竹の先に百目蝋燭をつけたのを、寝巻のえり頸へさして、酔歩蹣跚《すいほまんさん》と立ち向った大柄な武士があって、かなり腕の利く男だったという。これが狂太郎だったかもしれない。どうにもしようのないほど酔っていたというから、孫太夫と渡り合って別れてから、たやすく誰かに斬り伏せられたことだろう。
 翌朝、吉良の首を槍の柄に結んで、回向院《えこういん》無縁寺の門前に勢揃いした一党が、高輪泉岳寺への途中、廻りみちをして永代橋を渡っているとき、行列のなかの武林唯七が、
「おい、間《はざま》!」と、ふり返って、雪のなかに立ちどまった。「口笛が聞える――。」
 武林とおなじに、返り血で全身黒くなっている間新六も、歩をとめた。
「なに、口笛が――?」
「うむ、聞える。耳をすまして――ほら! どこからともなく、口笛が――ほら!」



底本:「一人三人全集2[#「2」はローマ数字、1−13−22]時代小説丹下左膳」河出書房新社
   1970(昭和45)年4月15日初版発行
初出:「サンデー毎日」
   1932(昭和7)年3月
入力:奥村正明
校正:小林繁雄
2002年12月3日作成
2008年3月28日修正
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