。すこしは、舎弟の身にもなってもらいたい。小林殿に対して、じつに顔向けならん仕儀だ。」
「何をいってやがる。てめえのあ、顔って柄じゃあねえ。そんな面《つら》あ、誰にだって向けられるもんか。」
「千阪様の御推挙によって、目付役として来ておる拙者であってみれば、大須賀、笠原、鳥井、糟谷、須藤、宮右をはじめ、松山、榊原、それに、和久半太夫、星野、若松ら――あの連中を懸命に督励して、せっせと赤浪どものうごきを探らねばならぬ。また事実、みな必死に働いてくれておるのに、それに率先《そっせん》すべき身でありながら、兄貴ばかりは、そうやって、無精《ぶしょう》ひげを伸ばして――。」
 狂太郎は、頬から頤へ手をやって、撫ででみた。
 やすり紙で軽石をこするような、ざら、ざらと、大きな音がした。
 一角が[#「 一角が」は底本では「一角が」]、つづけて、
「熟柿《じゅくし》くさい息をして――。」
 はあっと息を吐いて、狂太郎は、それを追うように鼻をつき出して、においを嗅いだ。
「眼ざわりでござる!」
 呶鳴った弟の声に、狂太郎は、むっくり起き上った。
「大きな声だな。寝てもおられん。」
 きょとんとした円顔で、不思議そうに、一角を見つめた。
「ううい、どうしろというのだ。」
「じつにどうも、度しがたいお人ですな。吉良殿を護るために、赤浪ばらの策動を突きとめていただきたい。これは、付け人として当然の任務ですぞ。」
「大丈夫。攻めてなんぞ来はせんよ。また、来たら来たで、その時のことだ、あわてるな、狼狽《あわ》てるな。」
「何をいわれる! 隠密の役目は、あらかじめ――。」
「隠密? この、おれが、か?」
「さよう。」
「間者だな。」
「さようっ!」
「密偵だな、早くいえば。」
「くどいっ!」
「犬じゃな、つまり――犬、猫、それから、男妾には、なりとうないと思っておったが――。」
「何をいわれる。誰が兄貴を、男めかけにする女《もの》があります。」一角は、とうとう笑い出して、「犬、猫などと、見下げたようなことをおっしゃるが、兄貴は、それこそ犬、猫のごとくに――。」
 狂太郎は、眼をしょぼしょぼさせて、
「まあ、それをいうな。」
「いや、いいます。あまりだからいうのです。まるで犬、猫のように、雨露をしのぐ場所もなく、尾羽《おは》うち枯らして放浪しておられた――。」
「今だって、尾羽うち枯らしておらん
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