守っていると、刀身の三分の二手元へ近い、その道で腰と称するところに、横にかすかに疵があるのが眼についた。さっき甚吾が切込みと指摘したのはこれである。
切込みとは戦場で敵の刀を受けた痕のことで、疵は疵だが賞美すべきもの。だが、ここに、この切込みに似ておおいに非なる純粋の疵に、刃切れというのがある。これはすべて横にある焼疵で、一つでも結構ありがたくないが、こいつがいっしょに幾つもあると、それを百足《むかで》しなん[#「しなん」に傍点]と呼んで、ことある際に折れるかもしれぬとあってもっとも忌みきらったものだ。
いま十郎兵衛が、この疵を見ていると、だんだんそれが、切込みではなくて、刃切れも刃切れ、百足《むかで》しなん[#「しなん」に傍点]のように思えてきた。
「はてな。」
と彼は大仰に眉をひそめた。
「どうじゃ、粟田口であろう。」
甚吾が詰め寄る。
「その切込みは――。」
「これは切込みではござらぬ。」
あんまりきっぱり[#「きっぱり」に傍点]した自分の言葉に、十郎兵衛は自分で驚いた。が、それと同時に、すっかり度胸が据わって、
「これはこれ、百足じゃ。百足を切込みと見誤るなぞ、寺中、常の貴公らしゅうもない。外《はず》れつづきに、なんだなすこうし逆上《のぼ》せかげんじゃな。笑止はっはっはっはっ。」
笑ってしまってから、これはすこし過ぎたかな、と思ったが、もう遅い。怒ると吃《ども》る癖のある甚吾は、
「な、な、な、な――。」
と首を振り立てた。そこを、
「青江じゃ。為次じゃこれは。」
と十郎兵衛は会主を見た。すると、不思議なことには、会主がにっこり頷首《うなず》いたものだ。
また、十郎兵衛の半あてずっぽうが的中したのである。
今日はみょうな日だな――十郎兵衛は思った。そして、よせばいいのに、かれ一流の皮肉に見える微笑みとともに、
「寺中、もはや兜を脱いだがよかろう。」
と言いかけると、
「ぶ、ぶ、ぶ。」
無礼者とか何とか言うつもりだったんだろう、甚吾が口早に吃った。それがおかしかったので、父親の葬儀で読経中に吹き出したほどの十郎兵衛だから、思わずぷっ[#「ぷっ」に傍点]と噴飯してわっはっは[#「わっはっは」に傍点]と笑おうとした。
甚吾の手がむずと面前《まえ》の茶碗を掴んだ。一同ちょっと膝を立てた。十郎兵衛は笑いを引っこめた。
「貴公、それを俺に、投げつける気か。」
すると甚吾は真赫《まっか》になってそれから真青《まっさお》になって、顫える手で茶碗をとって、冷えた茶を飲みほした。それきり俯向いていた。
会の帰り、甚吾左衛門は十郎兵衛にこっそりはたしあい[#「はたしあい」に傍点]を申し込んだ。
理由は、人なかにて雑言したこと。
期日。今夜四つ半。
場所。高輪光妙寺の墓地。
二人は顔を見合って大笑いした。そしたらさっぱり[#「さっぱり」に傍点]した。もうすこしもこだわってはいなかった。
三
花時の天気は変りやすい。午後から怪ぶまれていた空から、夕ぐれとともにぽつりと落ちて、四刻《よつどき》には音もなく一面に煙るお江戸の春雨であった。
討合《はたしあ》いのいきさつから、もしもわが亡きのちの処理、国おもての妻子の身の振り方なぞを幾通かの書面に細ごまとしたためて、十郎兵衛が部屋で一服しているところへ、刻限でござる、そろそろ出かけようではないかと言って、甚吾左衛門が迎えに来た。応《おう》と立ち出ると、そとは雨だ。十郎兵衛、傘がない。
「相合傘と行こう。」
「よかろう。」
というので、長身瘠躯に短身矮躯《たんしんわいく》、ひとしく無骨者の両人、一本の蛇の目を両方から挾んで、片袖ずつ濡らして屋敷を出た。
いとど人のこころの落ちつく夜、それに絹糸のような雨が降っているのだ。道行めいた気分がすっかり二人をしんみりさせて、どっちからともなく、気軽に、歩きながらの会話《はなし》になった。
「降るな。」
「うん。陽気のかわり目だからな。」
「これでずん[#「ずん」に傍点]と暑くなるだろう。」
「暑くなるだろう。」
また黙って二、三歩往く。夜更けだから店の灯りもなく足もとがはっきりしない。
「おい、水たまりがあるぞ。」
「うん。ここはどこだ。」
「芝口だ。」
「芝口か。」
「うん。」
沈黙におちる。風が出てきた。
「貴公、濡れはせぬか。傘をこう――。」
「いやいや。これでよい。それより貴公こそ濡れはせぬか。」
「なんの。」
「よく降るな。」
「よく降るな。」
「ここらの景色――どうだ、城下はずれに似ておるではないか。暗くてよくは見えぬが。」
「さよう。そういえばそうだ。あの、何とかいう稲荷のある――。」
「ぼた餅稲荷であろう。」
「そうそうぼた餅稲荷の森から小川にそうて鼓《つづみ》ヶ原《はら》へ抜けようとするあたり、あの辺は何と言ったけな。青柳町ではなし――。」
「青柳町は下で、甲子神社《きのえねじんじゃ》のあるところじゃ。」
「すると、あそこは――。」
「――――」
「――――」
「青、――。」
「青物町!」
「八百屋町!」
「そうそう、八百屋町、八百屋町。ずいぶん変ったろうな、あのへんも。」
「久しく行かんからな。」
「久しく行かんからな。」
「お! 甲子神社と言えば、貴公、おぼえているか。」
「何を。」
「あそこのそら、そら、あの娘――。」
「娘?」
「うん。顔の丸い、眼の細い、よく泣きおった――。」
「お留か。」
「おう! それそれ、お留坊、神官の娘でな。」
「大きゅうなったろうなあ。」
「嫁に行って子まであるそうじゃ。」
「え! もうそんな年齢《とし》か。」
「そりゃそうだろう、あのころ稚児髷だったからなあ――はっはっは。」
「何じゃ、不意に笑い出して。」
「はっはっはっは、いや、思い出したぞ。いつかそらあそこの庭に柿の木があって――。」
「うんうん、あった、あった! 大きな実が成ったな。よく貴公と盗りに行ったではないか。」
「いつか貴公が、ははははは、木から落ちて、ははははは。」
「そうそう、ははは、泣いたな、あの時は。」
「泣いた泣いた。それで俺が、武士《さむらい》の子は痛くとも泣くものではないと言うたら、貴公、何と答えたか、これは記憶《おぼ》えていまいな。」
「なんと答えた?」
「痛うて泣くんではない。せっかく※[#「てへん+毟」、第4水準2−78−12]《も》いだ柿を潰してしまうが惜しいというて、また泣いた。はっはっはっは。」
「そんなことを言うたか。いや、これは! はっはっは。してみると、そのころから強情だったとみえるな。」
「三つ児のたましい――。」
「百までもか、はははは。」
「はははは、御同様じゃ。」
口をつぐんで、しばらく道を拾った。
「しかし、あの時、貴公の泣声に驚いて飛び出して来たお留が、また柿をとったあ、と言うて泣きだしたが――。」
「あれには驚いたな。」
「あのころが眼に見えるようだ。」
「まるで昨日――。」
「早いものじゃな。」
「うん。」
幼馴染み、はなしは尽きない。が、高輪筋へはいって約束の場所が近づくにつれ、二人ともみょうに重苦しくなって黙りこんだ。
どっちかが一言いい出しさえすれば、それでことなくすんで、雨の夜の散歩だけで屋敷へ帰れそうに思われる。
「おい、寺中、はたしあいもいいがつまらんではないか。」
と言うつもりで、
「おい寺中。」
と口に出すと、
「何だ。」
という相手の声のなかに、許しておけない敵意を感じて、だまりこんでしまう。すると他方が、おなじ心もちから、
「おい、安斎。」
と言いかけるが、やっぱり、
「何だ。」
という相手の声で、たまらなく不愉快にされる。で、いらいらしているうちに、二人の息づかいがたがいの耳の近く荒くなって、足がだんだん早くなって、甚吾と十郎兵衛、雨のなかを光妙寺の墓地へ駈けこんだ。こうなってはもう仕方がない。
ぼうんと傘を捨てる。同時に、きらり、きらりと抜きつれた。手腕《うで》は互角。厄介な勝負だ。
「やあ!」
「やあ!」
「どこだ。」
「ここだ、ここだ。」
とにかく、おそろしく念の入った話しだが二人は休んでは斬り合い、斬り合っては休んだものとみえる。一晩じゅう順々に拇指や鼻の先や横っ腹を、かわるがわる落したり削《そ》いだり抉ったりし合ったのち、翌朝人々が二人を発見した時には、甚吾は十郎兵衛の着物の布《きれ》で繃帯してもらって、吃ったまんまの顔、十郎兵衛は十郎兵衛で例の薄笑いを浮かべたままで、二人じつに仲よく死んでいた。
しかし、勝負はあったのである。
地上の甚吾の手が刀から離れていたに反し、十郎兵衛の指は五分ほど柄にかかっていたというので、尾張藩の侍たちは嬉々として、またしても安斎十郎兵衛嘉兼のほうへ軍配をあげたものだ。
底本:「一人三人全集 2 時代小説丹下左膳」河出書房新社
1970(昭和45)年4月15日初版発行
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫)
入力:奥村正明
校正:小林繁雄
2002年12月3日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全2ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
林 不忘 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング