、今朝ウラジオへ出て来ても一日逃げ隠れていたと言いましたね。国士めかした、重要ぶったやつらの顔が癪なんです。それに、どういうものか私はあの連中に会うと、不思議な圧迫を感じて、是が非でも伊藤を殺さなければならない気持ちにさせられる。それが恐しいのです。(笑って)この私は、皆から、あの一人の人間を殺すためにだけ生れて来たものと頭から決められているんですからねえ。なかには、もう決行したかのように、私を、あなたの言葉でいえば「国民的英雄」扱いして喜んでいる者もあります。何と言っていいか、じつにやりきれない気持ちです。
李剛 (低声に)人気者は気骨が折れると諦めるさ。
安重根 先生は冷淡です。僕がこんなに苦しんでいるのに、すこしも同情を持とうとしない。誰も僕のことなんかこれっぽっちも考えてはいないんです。なんでもいいから、一日も早く僕が伊藤を殺しさえすれば、それでみんな満足するんでしょう。だから、やれ決死の士だの、やれ、韓国独立の犠牲だのと、さんざん空虚な美名で僕を祭り上げて、寄って集《たか》って僕を押し出して、この手で伊藤を殺させようとしているんです。(独語)誰がその手に乗るもんか。
李剛 (
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