す。それだけなんです。
李剛 (強く)よろしい! 家族を迎えにハルビンへ行きたまえ。
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二人は探るように顔を見合って立っている。長い間。
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李剛 (低声で)今となっては同志が黙っていまいよ。こんなに知れていることだからねえ。
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間。
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安重根 今日一日それを考えたんです――仕方がありません。ハルビン行きは止めます。止めて、自首します。
李剛 (冷く)自首! それもいいだろう。いまさかんに日本の御機嫌を取っているロシアのことだから、警察は大よろこびだ。
安重根 (間)こんなに苦しむより、いっそ自首して出たほうがどんなにましだかしれやしません。(泪ぐんで)自首します。自首すれば、とにかく問題は解決して、先生も安心でしょう。僕も安心です。謀殺未遂というやつですねえ。結構です。
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安重根は革紐で行李を引きずり、俯向いて歩き出しながら、ゆっくり自分に言い続ける。
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安重根 そうだ。自首してやれ。何でもいい。自首して、あいつらに鼻を明かしてやりさえすれば、それでいいのだ。自首だ。今まできいたふうな口を叩いていた見物人は驚くだろうなあ。今度は生やさしい間諜の噂ぐらいではないぞ。(決然と)腹の底から引っくり返るようにやつらに、背負い投げを食わしてやるのだ――。
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と急ぎ去る。李剛は微笑を含んで見送っている。
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6
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その真夜中。博徒黄成鎬の家。
往来に面した部屋。正面いっぱいの横に長い硝子窓に、よごれた白木綿のカアテンがかかっている。中央に戸外に開くドアあり。左右にも扉があって閉まっている。左は台所、右は別室へ通ずるところ。真ん中に、火のはいっていないストウブを取り巻いて毀れかかった椅子数脚。あちこちに粗末な卓子、腰掛けなど数多ありて、集会所に当ててある。腰掛けの一つは逆さまに倒れ、紙屑、煙草の吸殻など散らばり、乱雑不潔なるさま。赤い紙片で包んだ電燈が低く垂れ下っている。
黄成鎬――博徒。独立党の同情者、五十前後。ほかに禹徳淳、朴鳳錫、白基竜、安
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