」はママ]の帯に矢立てを差して、念入りに前だれまで掛けた親分の岡っ引きいろは屋文次、御用の御の字もにおわせずに、どこから見ても相当工面のいいお店者《たなもの》という風俗で、待遠しそうに土間の框《かまち》にきちん[#「きちん」に傍点]と腰をおろしている。
「安、御苦労だがな、ちっ[#「ちっ」に傍点]とわれのからだを借りてえことがあるんだ」
「へえ、何でごわす?」
「なあに、半ちく[#「ちく」に傍点]仕事よ。ま、つきあってくんねえ。途々《みちみち》話すとしよう」
 自分の頼みだけ頼んでしまうと古手屋津賀閑山はさっさ[#「さっさ」に傍点]と先に帰ったと見えて、他には誰もいない。したがって安兵衛には、何だかいっこうにわからないが、その場の出幕以外に、絶えて通しの筋趣向というものを、終了《おち》までは誰人《たれ》にも明かしたことのないいつもの文次親分を知っているから、安も、
「あい、ようがすとも」
 とがっくり[#「がっくり」に傍点]うなずくと同時に、さては死に花の探索に思わぬ眼鼻がついたのか、あるいはあの、満願寺屋《まんがんじや》水神《すいじん》騒ぎの一件か、それとも、ことによったらいろはがるたの――ではあるまいか、ともう歴然《ありあり》と持ち前の気負いを見せて来るのだ。
 それにはかまわず、銀磨きを掛けたばかりの十手を、くるくると袱紗《ふくさ》包みにして、すっぽり懐中《ふところ》へのむと、そいつを上からぽん[#「ぽん」に傍点]と一つたたいて、文次は先に立って浮世小路の家を出た。
 一歩踏み出すと、世はまさに陽光の世界である。
 お捕物《とりもの》の出役。なに、それほどのことでもないが、若いころの源之助《たんぼのたゆう》そっくりないろは屋が、ふところ手の雪駄《せった》ばき、花曇りの空の下をこうぶらり[#「ぶらり」に傍点]と押しだしたところ、これが芝居なら、さしずめ二つ三つ大向こうから声がかかろうというもので、粋《いき》な三味《いと》がほしいような、何ともうれしいけしきである。
 春霞《はるがすみ》ひくや由緒《ゆかり》の黒小袖。
 名にしおう日本橋の大通りだ。
 ずらりと老舗《しにせ》がならんでいる。
 右へ向かって神田。
 焙烙《ほうろく》で、豌豆《えんどう》をいるような絡繹《らくえき》たるさんざめき、能役者が笠を傾けて通る。若党を従えたお武家が往く。新造が来る。丁稚《でっ
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