ないか、もし信じていないとすれば、たとえ君が検事の前で彼の犯罪を列挙したところで、君もいう通り証拠がないんだから否認すればそれまでの事だし何でもないじやないか」
 藤枝はこの時、食後の煙草をうまそうに一服すつた。
「君はあのナポレオンの気持を知らないから困るよ。林田は犯罪界のナポレオンだぜ。犯罪界のベートホーヴェンだ。少くも自分ではそう信じているのだ。俺はえらい、俺のやる犯罪は人智では決して観破されない。しかり、たとえこの藤枝真太郎にですらもね。

      9

「すなわち彼はナポレオンにもウォータールーのあつた事を忘れていたのだ。しかしてこの藤枝真太郎がウエリントンたりブリューヘルたることを忘れていたんだよ」
 林田のことをナポレオンに祭り上げた藤枝は俄然自身をウォータールーの将軍に擬している。こんな時、私はいつも藤枝の自惚れを子供が得意になつて威張つてる時のようにながめるのだつた。
「こういう自惚れをもつていた彼林田先生が、この僕から自分の犯罪を手にとるように指摘されては到底堪えられなかつたんだよ。ねえ君、君はよく大富豪が一朝にして没落し、その結果自殺した、という例をきくだろう
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