一包の粉薬を入れ、封じて店においておくと間もなく、秋川家の女中がそれを取りに来たので、勿論なんら怪しむ事なくそれを渡したのでした。
そこで肝心の粉薬ですが、これは絶対に間違いはない。なんでもアンチピリンを|〇・《ポイント》四だけ作り、これを包に入れ『頓服一回、秋川さだ子殿木沢先生御処方』と記して渡したそうです。此の点について、店の薬剤師二人ともその時、主人が作る所を何気なく見ていたそうですが、絶対に誤なしという事です。
ところで今また行つて見ますと、主人は、帰宅した所で、うちをあけておおいに恐縮して語りましたが、そのいう所によれば全く、さきの供述と同じです。私が領置した薬用袋をもつて行つて見せましたがたしかに、それは彼自身の渡したもので、字は自身で書いたにちがいないという事です。ただ封の所が破つてありますが、封緘紙が袋についたままでいますから、どうも薬局でアンチピリンを入れたのに、途中で誰かが外のものにすりかえた、という事も考えられぬようです。西郷には後刻警察に出頭するよう一応命じておきましたが、同行した二人の医師も一応帳簿などを調べましたが、それによつても、どうも云つている事に嘘はないようです。……それから徳子の屍体のそばにあつた包紙ですがね。すぐ本庁に送つて調べて貰つていますから、もう判るでしよう」
警部が一気にこうしやべつた時、ドアが開いて女中があらわれた。
「あの、[#「あの、」は底本では「あの、 」]電話でございます――警視庁で……」
警部はいそいで立ち上つて出て行つたが、やがて暫くすると戻つて来た。
「今、包紙を調べたそうです。少し粉末がついていたのでそれを調べた結果昇汞だという事が判りました。純粋の昇汞だそうです。何もまじつていないという事です」
10[#「10」は縦中横]
「昇汞? 昇汞をのんだんだね」
「鑑識課で調べた粉末はたしか昇汞だという事です。前後の状況から見て徳子の呑んだのはどうも昇汞らしいですな。野原君も木沢医師も同意見です。ことに木沢医師はかけつけた時、徳子の苦しみ方や、嘔吐の模様からして、昇汞じやないかと感じたそうです。なんでも二ヶ月程前に牛込のある病院で、看護婦が昇汞で自殺した時にかけつけたそうですが、その時の看護婦の様子とよく似ていたと云つていました」
「無論屍体解剖をやれば明白になることだが、昇汞嚥下は先ず間違いなしだね。自殺ではないらしい。自殺とすれば徳子がどうして昇汞を手に入れたかを先ず考えなければならん。又、同時に、それなら西郷薬局から届けた筈のアンチピリンがどこかに残つているか、あるいは両方とも徳子の胃にはいつたとしても、アンチピリンを包んだ紙が残つていなければならない。今まで調べた所では、徳子は薬局から来た薬を何も知らずにのんだとしなけりやならん。しかし、薬局ではたしかに解熱剤を作り、これが間違いなくこの家に来たとすると、それが徳子の口にはいるまでにいつのまにか昇汞に変じたことになる」
検事はこう云つて朝日の煙をふきながら藤枝の方を見てにやりと笑つた。
「いや、もつと正確に云えばだね。西郷という男が解熱剤をまちがいなく作つたとすれば、それが袋にはいつてから、徳子の胃にはいるまでに昇汞に変つたというわけだね」
藤枝が検事に対してはじめてこう云つた。
「うん、そうだ。薬局からこの家に来るまでに変つたか、この家に来てから変つたか、これが大問題だからな」
検事がまた、にこやかに藤枝に云つた。
「じや、長女に来て貰おうか」
ふと気をかえて検事が警部にこういうか、いわないうち、ドアにノックが聞えた。検事の声に応じて開かれたドアの所には、ひろ子が美しい顔をあらわしていた。
「あの、私をおよび出しになるだろうと思つてまいりましたのですが、はいりましてもよろしゆうございましようか」
ひろ子はさだ子の取調べがすんで、自分が呼ばれると思つていたのに、意外に手間どつたので、待ちかねてはいつて来たものと見える。
「ああ、あなたはひろ子さんですね。ちようど今来て貰おうと思つていた所でした。どうかこの椅子へ」
検事はこういうと朝日の喫いさしをポンと机の上の灰皿にほうりこんだ。
検事のひろ子に対する取調べも最初はさだ子に対すると同じく、主として駿三の供述に従つたもので、一応その供述を簡単に彼女に述べたのだが、ひろ子の答も大抵それと同じであつた。
「では、昨夜あなたが騒ぎで起された所から話して下さい」
「私が昨夜床に入りましたのは多分十時頃だつたかと思います。いつも枕に頭をつけるとすぐ眠る習慣なので、昨夜もそのまま眠つてしまいましたが、夜半《よなか》にふと目がさめました。後から考えますと、これはつまり父と妹が母のねまの戸を叩いていた音の為に起されたのでございましよう」
「その
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