ものがもみくちやになつており、すぐわきにコップがおいてあつて、そこに半分程呑んだ水がありました。それで、私はすぐ、こりや何か毒でものんだのではないかと感じたのでした。
いや、決して自殺とは思えません。第一妻が死ぬ理由はないのです。……それでとりあえず、かかりつけの医者の木沢さんに来てもらつたのです。時間はおぼえていませんが多分十二時半か一時頃ではなかつたでしようか。木沢さんはまもなく来られました。いろいろ介抱して応急の手当をして下さいましたが、ごらんの通り、とうとう駄目になつてしまつたのです」
駿三はこう云い終つて一息ついた。
「だいたい判りました。そこでたずねますが、さつきあなたの云われた奥さんの風邪薬ですがね。それはあと残つていますか」
「いえ、一包の頓服とみえて、残つていたのは薬局の包装用紙だけで薬はありません」
「その頓服と云うのはなんです?……処方はいつ誰がしたのですか」
「さあ、薬は何か知りませぬが多分アンチピリンか何かでしよう。処方は特に、妻の為のものではなく、次女のさだ子が数日前発熱して頭痛がひどかつた時に、木沢さんに処方してもらつた頓服薬です。それを西郷薬局に云いつけたのです」
「では、さだ子さんの為の薬を奥さんに上げた、というわけですね」
「そうです。私共素人はよくそういう事をやりますのですが……」
駿三は何か小言でも云われると思つたらしくおずおずしながら検事の顔色をうかがつた。
「で、どなたが薬局に命じたのです」
「うちの女中が電話でそう云つたと思います。無論、妻の命を受けてでしよう」
「そうすると、薬局では、さだ子さんの薬だと思つて調製したのでしようね」
駿三には、何故検事がここをつつこんで来るのか、ちよつと判らなかつたらしく、
「はあ、まあそうだろうと思います」
と軽く答えた。
「もう一つききますが、薬はむこうの者がもつて来ましたか、それともお宅の誰かが……」
「電話であらかじめ注文しておいて、うちの女中の佐田やす子というものが取りにまいりました。只今ここにお茶をもつて参つた、あれです」
「では、あなたは一応お引き取り願いましよう。で、ひろ子さんか、さだ子さんをよんで頂きたいですね」
駿三は一礼して部屋を出て行つた。[#「行つた。」は底本では「行つた、」]
検事は、かたわらの書記をちよつとかえりみたが、また一本の朝日を取り出して火をつけ、天井をじつとながめていた。
藤枝は何も云わずに、あいかわらず、エーアシップをふかしつづけている。
ノックがきこえて、まもなくそこへ、次女のさだ子が、不安そうな顔つきであらわれた。
6
戸口にあらわれたさだ子は、姉に劣らず美しかつた。ひろ子の顔つきを理智的な美とすれば、さだ子の顔つきは情的な美しさをもつていると云える。きれいというよりは、むしろ愛らしい顔つきで、さつき見た時、ひろ子と初江とが、共通の表情をもつているのに反し、さだ子は、父親の顔にどこか似ているが、なんとなく淋しげな色がどこかに見える。これは平生でもそうなのだろうか、あるいはこの悲劇の直後だからだろうか。
「あなたは……さだ子さんですか……二番目のお嬢さんですね。今お父様にいろいろと昨夜の事情をうかがつた所です。……さ、そこにどうかおかけ下さい。……そこで、今お父様にうかがつた所では、二、三日前からお母様が風邪をひかれた。昨日は特に頭痛が烈しかつたので西郷薬局にそう云つて薬をお求めになつたそうですね。それをねる時に呑まれてから大変苦しまれて、あなたがお父様をお起しになつたという事ですが、そうですか」
これは検事としては異例な質問である、と私は感じた。平生検事というものはまず相手に昨夜の有様を一応きいて、供述者等の供述に互に矛盾がないかを確かめ、それから後で、いろいろきくものだと私はきいている。然るに奥山検事は今、いきなり駿三の供述をさだ子の前にはつきり云つた。
多分これは時間を節約する為と、それからこうした一家族の一人一人を調べる時は、仮りに口を合わせようとすればあらかじめ検事の来る迄にいくらでもそれは出来る事だから、却つて一人の供述をその儘伝えたほうが便宜だから検事は此の方法を取つたものであろう。
「はいその通りでございますの」
さだ子ははつきり答えた。
「昨夜、夕食は何時頃でしたか」
「あの、たしか六時半頃と思います」
「皆さんが御一緒でしたか」
「はい、父母と、私共姉妹弟とそれから……」
「それから?」
「伊達さんでございます」
「伊達というのは? ご親戚ですか」
「いいえ……あの……」
さだ子は急に顔を紅く染めながらちよつと口ごもつた。
「親戚ではございませんがこちらにおります方で……私と婚約の間柄でございますの」
彼女はこう云うと下をむいてしまつた。
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