ている間もなかつたので急いで帰つて来た。もしや駿三が実は知つているのではないかと感じていたので、帰るや否や秋川邸に行つて駿三を調べるとあの始末。林田のいない所で駿三が死んだ。だからほんとに僕は驚いたんだが、これは殺人事件ではないと判つた」
「で、君は林田が犯人だという証拠を捕えて来たのかい」
「ところが残念ながらそれがどうしても無いんだ。そこへもつて来て林田の最後の、しかしながら最大の目的たる駿三が死んだ。さあこうなれば彼何を仕出すか判らない。では一体僕はどうすればよいか。――差し当り、あらゆる策を講じて伊達かよ[#「かよ」に傍点]の妹を捕まえなければならぬ。もしこの女が捕まればたとえ林田に会つたことはなくとも、声位おぼえているだろう。また脅迫状を送れ、とか電話を秋川邸へかけろとかいう命令を受けたことはたしかに明らかになるわけだ。そこでふと考えついたのは今まで偶然にも、伊達の嫌疑が余り新聞に出なかつたことなんだ。ねえ君、脅迫状を送つた奴はたしかに秋川駿三の仇であるに違いない。しかし正男にとつては必ず味方であるはずなんだ。

      7

「とすればだ。もし今殺人事件の為に伊達が非常に危険な状態に陷るとすれば、彼女は必ず黙視してはおられない。少くも自分が脅迫状を送つた、という事実を云わなければ伊達正男の身がいよいよ危い。だからもしこの女が死んだか、大病でない限りどうしても自分から名乗り出るだろう、とこう思いついたのだよ。それで窮余の一策として、君も御承知の通り、いつもの例に似合わずわざと新聞記者をあつめて、しやべりちらしたのだ。まさか伊達が殺人の自白をした、とはつきり僕は云わなかつたけれど、暗にそれを匂わしたんだ。新聞記者なんてものはひどく敏感でツーと云えばカーだからね。その結果、警部が立腹して僕をなじりたくなるような記事が出たんだ」
「ふん。成程。君はしかし、昨日、もう暫く待つてくれ、と云つたけれども、午後にはあの女がとび込んで来ると当りをつけたのかい」
「無論、時間なんか判らぬ。しかし今までの怪しい電話から考えて、女が東京市の内外にともかくいることが判つている。そうすれば、おそくも昨日のひるすぎには、狼狽してとび出して来ると信じていたのだ。この見込みは、正に当つて君も知つている通り、里村千代は姿を現した。しかし、残念なことに林田に対決させるひまもなく、自殺してしまつた。これで、今までのいきさつはすつかり判つたが、肝心の林田に対する証拠というものが、全くなくなつてしまつた。では一体われわれはどうすればよいか。
「蓋しこれは今まで提供された中で最大の難問題である。どの角度からながめても、林田をとつちめる方法が見つからない。目の前に犯人を見ながら手をつかねていなければならない。一方彼は非常に危険性を増している。ここで僕が最後に思いついたのが、彼を自滅させる、という一手だ。結局、僕らは彼に自殺してもらうより外に方法をもたないのだ。情無いけれどこれが法律の力の限りだよ」
 ビーフステーキの残骸をボーイが取り片付けると、藤枝は次に出て来た果物には手をつけず、すぐ紅茶を口にしつつ、つづけた。
「自殺させるたつて、これが決して生やさしい仕事じやない。まして僕自身が法律家である以上、自殺教唆を公然とやるわけにはいかん。その結果、僕の用いた手段は君が親しく見た通りだ。昨日、君と夕方別れてからの時間を利用して僕はまず僕の推理を余す所なく書き記して見た。つまり林田英三の犯罪なるものを全部書きつけてこれを封入し、君と一緒に彼の家に出かけたわけだ」
「じや、あのノンセンスだ、いやノンセンスじやない、という問題は、林田自身のことだつたのかね。僕は又伊達のことかと思つたんだが」
「そんなことはない。年を数えて見たまえ。そんなことがあり得るはずがないじやないか。正男の生れた頃には、駿三は未だ山口県にはいなかつた筈だよ」
「ふうん、成程。では林田は、君の言葉をきいて、はじめて自分の錯誤に気がついたのだろうか」
 藤枝はニヤリと笑つて私の顔をながめた。
「ねえ君、君はあの時僕がいつたことを、事実だと信じているのかい」
「だつて君は非常な自信をもつて林田にくつてかかつていたじやないか」
「しかし、あれには何の証拠もないんだよ」
 私はしばらく言葉もなかつた。
 ようやく私はいつた。
「じや、まるで君の空想なのかい。林田がいつた通り?」

      8

「空想?――空想と云えば空想かも知れない。しかし、空想が真理を云い当てていないと誰が断言できるか。僕には、あの方がほんとうだつたのじやないか、とも思われるね。証拠なんてものはつまらぬものさ。法律家が事件を裁く時に必要なものだ、議論の相手を屈伏させる時にのみ必要なものだ。それがはたして真理にあてはまつているかど
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