たのだろう。
 今まで知つている範囲では、秋川駿三は、一代で巨富を作つた人間である。こうした経歴をもつている人の中には、随分ひとに恨まれるやうな事をする者があるから、彼が誰かに恨まれているであろう事は察するに難くはない。
 ではそれは、金銭上の恨みか、恋愛関係についての怨みであろうか。――私の考えはいろいろな方面に動いていつた。
 それにしても、さつき私が此の目ではつきりと見た三角形の印のついた手紙は何者によつてかかれたか。いや、それどころではない、私がこの耳ではつきり聞いたあの女らしい声の悪魔の嘲笑は何を意味するのか。悪魔は正しく藤枝真太郎に向つて挑戦しているではないか。彼はつづいて何をしようとするのだろう。更に、藤枝がひろ子と話をしている間にさだ子の話にふれた時のひろ子のあの表情は? これはなんと解釈したらいいのか。
 私の頭の中には、とりとめのないいろいろの渦巻が交る交る現れたが、結局一つとしてはつきりしたことが判らなかつた。
 珍しく夜の十二時、一時の時計の音をきいたけれども、二時の打つのをおぼえなかつたから、いつのまにか眠りに陷つたとみえる。
 私が目をさましたのは翌日の朝、九時すぎだつた。いや正しく云えば、目をさましたのではない。目をさまさせられたのだ。
「おい小川、起きないかい。おい……」
 ぼんやりと目をあけて見ると、意外にも私のねどこの側に藤枝がすわつているではないか。
「お目ざめかね。ちよつといそぎの用がおこつたので、女中さんに云つて、かまわずねどこに押し入つて来たんだよ」
「ああ君か。……どうしたんだい」
「オイ、とうとう秋川家に大事件がおこつたよ」
 わたしは、いきなり夜具をはねのけてとこの上に坐つた。
「何? どうしたんだ」
「秋川ひろ子のおつかさん、秋川徳子が昨夜毒殺されたんだよ」

      7

「毒殺? あのひろ子のおつかさんが?」
「うん、はつきり毒殺とは云い切れないかも知れないが、とにかく、秋川徳子が毒薬をのんでその結果、けさ死んだことはたしかなんだ。しかし自殺とみるべき所がないので、当局は殺人事件とみている」
「で、ほかの者は?」
「主人もその外の人もどうもないそうだ」
「君にどうしてそれが判つたんだい」
 私は、もう起き上つて着物をきかえながらきいた。
「けさ、早く、ひろ子嬢から電話があつてね、母が昨夜から大変に苦しみはじ
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