れるに至った。
若し彼が此のままいつまでも病院にはいって居たならば彼の為にも他人の為にも、之から犯すような大きな不幸は起らなかったであろうが、不幸にして――然りまことに不幸な事には、一八九四年の五月一日に、ヴァッヘルは全治せるものとして退院を許されたのである。
彼は此の時から、「惨劇の浮浪者」となりおおせたのだ。
一八九六年三月まで、オート・ロアルやコート・ドールなどを浮浪した揚句《あげく》、ついにショーモンまで来たがそこで或る男を殴って捕まり、ボーヂェの刑務所に入れられた。
ところがこの時までに彼は既に八つの犯罪を行って来たのであったが、その一つも彼に嫌疑がかかっていなかった。
その中の最後のものは、三月一日に、ドルーという十四歳になる少女を襲った犯罪であった。
けれども、右に云う通り、彼に嫌疑がかかって居なかったので、四月四日になってヴァッヘルは又釈放されたのである。
それから再び彼の恐るべき浮浪がはじまりそれがとうとう一八九七年の八月七日までつづいたが、この日彼は殺人未遂の罪で捕まったのであった。
当時のジュルナール・ド・ヴァランスから記事を抜粋すると次のような事実が行われた。
「一八九七年八月七日午前九時頃、プランシェという人妻がレペリエという森の所を通りかかると、突然物かげから鳥打帽をかぶり手に鉄の棒をもった男がおどり出し、いきなりプランシェの咽喉をつかんで引仆《ひきたお》した。
彼女は死物狂でようやく此の男の手から逃れたが、丁度その時現場にいたプランシェ夫人の七歳と四歳になる児が驚いて悲鳴をあげながら近くに働いていた父親のところにかけつけた。ムシュウ・プランシェはその男の気のつかない所で前から働いていたのだ。
プランシェ夫人も必死になって夫の方に逃走するとその男――ヴァッヘル――もあとから追いかけて来、とうとうムシュウ・プランシェとまともに向い合った。おそろしい格闘が二人の間に行われたが、その間に、フェルナンドという七歳になる児は勇敢にも石を取ってヴァッヘルに向い父の加勢をはじめた。
一時はヴァッヘルの力強く、戦はどうなるかと見えたが、幸にもその近くにいた樵夫《きこり》が二三名かけつけ、とうとうその男を取押える事が出来たのである」
彼はそれからツールノンの獄に送られ、そこのマヂストレートに調べられたが、単なる傷害罪という名のもとに
前へ
次へ
全12ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
浜尾 四郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング