結果は惨忍さに於いて到底彼の自白の如きものではない事が明かになった。
 頸のまわりには絞められた痕跡があったが胸部に十一センチの深さの切創があり、心臓は突刺されていた。
 事実は、彼はまずマルテに暴行を加え、次に之を絞め殺し、後、胸を突刺したのであった。
 取調中、彼は夢中でやった犯行であると強硬に主張した。そうして暴行の点については全くおぼえがないという申立をやった。
 暴行事件がここではからずももう一つあかるみに持出されたのである。
 一九〇一年三月、彼は、ジェリヤ・ブルマールという二十二歳になる婦人を襲った事がある。
 彼はその日彼女を自分の室にさそいこみ、それから急に乱暴をはじめて女を虐待し、ついにブルマールを床の上に仆して口から出血させるに至った。そうして最後に、彼女を脅迫しながらおそるべき行為に出でようとしたのである。
 ブルマールは、従うと見せて、相手の隙を見てほんとうに危い所で身を以って僅かに逃れた。
 マルテに対するソレイランの行為も丁度この事件と同じような性質をもっている。
 彼はマルテをまずナイフでおどかし、沈黙をまもって彼の暴力に従う事をせまったのである。然るにマルテが泣き叫んだので彼はあわてて絞殺したわけである。
 一九〇七年七月二日。重罪裁判所で彼の公判が開かれた。
 被告席に着いた彼の姿は一言で云えば、獰猛《どうもう》な鷲《わし》のような印象を人々に与えた。
 凡て犯罪の証拠があるにも不拘《かかわらず》、彼は、犯行の事実を全くおぼえがないと否認した。即ち無意識行為であるという主張をやった。
 彼が犯行後如何に冷静であったかという一つの証拠として、彼がマルテの死体を運んだ電車の車掌の言葉をここに記すと、
「私は、この男を食肉市場の助手だと思ったのです。それでそこにもっているのは牛肉かいときいたもんです。しかし被告は何も答えませんでした」
 検事総長ツルアルリオールは、特に殺人の情況以外に間接の情況が甚だ被告にとって不利なる事を指摘した。実にソレイランは被害者とは十年も前から知合であったのに、人情も何もなくこんな惨虐な事をやったのである。
「かくの如き恐るべき犯人は未だかつて被告席にあらわれたる事なし」
 検事総長はこう結んだ。
 死刑の判決が言渡された。
 その瞬間であった。突如法廷の一角から、絹をさくような声がきこえた。
「人非人め、私
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