、天一坊の一件でございます。
五
天一坊が如何いう男で、如何いう事を申し出したか、というような事に就きましては私は今更事新しく申し上げますまい。あなた様方もよく御存じの事と存じますから。
私はただあの頃の御奉行様の御有様を申し上げますでございましょう。
天一坊という名を御奉行様がお耳にお入れになりましたのは、未だあの男が江戸表に参りませず、上方に居た頃だったと存じます。
恐れ多くも公方《くぼう》様の御落胤《ごらくいん》という天一坊が数人の主だった者と共に江戸表に参ろうという噂が早くも聞えたのでございました。
此の報知《しらせ》を耳になさった時、御奉行様はいつになく暗い顔をなされ、それからは偉い方々と頻りに行き来をなさったようにおぼえます。中にも伊豆守様御邸には屡々御出入遊ばし御密談がございましたが、いずれも天一坊のお話だったに違いございませぬ。
天一坊が愈々《いよいよ》江戸に参りました時、御奉行様も伊豆守様其の外の方々と一所に御対面遊ばしました。其の時は伊豆守様自らお調べになったと、申す事でございますけれども、御奉行様も亦はじめて此の時天一坊を御覧に
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