毎夜のように断末魔の妻の顔が見えるのだ。僕がまちがっていたか? こう悩みつづけて半年は生きてきたのだ。けれども僕にはもう生は堪えられなくなったのだ。妻は地獄にいる。僕に陥《おと》されたんだ。恨め! 恨め! 僕も地獄に行く! こういう決意をしてから僕はたびたび死ぬ時を狙《ねら》った。そうしてついに決行したのだ。……蓉子が不貞であったろうとそうでなかったろうと僕には生きては行かれないのだ。……僕はもう死ぬ、しかし最後に君にはっきりききたい! 君の奉ずる聖なる科学の名においてはっきりきく、僕には子を作る能力があるのか。久子はたしかに僕の子だろうか?」
そこには不気味な沈黙がまた襲いきたった。闇の中でも大川の苦しげな呼吸ははっきりときかれ得る。しかるに、大川よりいっそう亢奮したらしいのは山本であった。彼は医師としての己れを忘れたように見えた。彼は自分が病人の前に立っていることすら忘れたかのように見えた。
突然山本はベッドの側に近づいて、大川の右手をつかんだ。山本の手はなぜかふるえている。絞るように山本が云った。
「大川、よくきいてくれ。君の生命はもう危いんだぞ。死ぬまぎわになってそれだけの重大なことをきくのに、君はなぜほんとうのことを云わないんだ? 君は妻の殺されるのを見ていたと云った。君は妻を賊に殺させたと云った。しかし君は自分が妻を殺したとは云わない。なぜはっきり云わないのだ? 大川! 君は賊を第一に殺して、それから妻を殺したんだろう※[#感嘆符二つ、1−8−75]」
云う方もきく方も必死だった。つかまれた大川の手もつかんでいる山本の手も、ぶるぶると音をたてるまでにふるえた。
「大川、僕は君になんでもいう、だから君も最後にほんとうのことを云って死んでくれ!」
氷のような静寂を破って、大川のふるえをおびた、わりに落ちついた声がひびいた。
「そうか、君は知っていたのか。僕がわるかった。僕がわるかった。死ぬ前なのに僕はなんということだ。僕が殺したのだ。僕が蓉子を殺したのだ。間違いはないほんとうのことをいうから聞いてくれ。
あの夜、僕は一時頃に床に入った。しかしどうして眠れよう。ピストルを出して妻を殺そうかどうしようかと迷っていた僕だ。僕はね返りばかりしながら床中で悶々としていた。ところが三時頃だったろう。台所の方で妙な音がするのだ。しかし頭の中に悩みを持っていた僕は
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