家としての僕にとうとう愛想をつかしてしまったのだ。
たしか昨年の九月の十日頃だったと思う、蓉子が不意に僕と別々に生活してみようと云い出した。もう一度舞台に立ちたい、というのが表面の口実なのだ。僕はおとなしくそれをきいていた。そうして何も答えずにおいた。翌日になると蓉子は、もうその問題を出さなかった。だから表向きはきわめて平和にその時は過ぎてしまった。が、僕の心の中は嵐のようだった。
蓉子が同じ問題をふたたびまじめに提出したのは、昨年の十月十九日、すなわちあの事件のちょうど前夜なんだ。蓉子はその時、自分のことをはっきり僕に云った。僕は確信を……」
「何? はっきり云った?」
「うん、十九日の夕食過ぎだ。蓉子がまた、改まって、僕に別居問題をもち出したんだ。もう堪えられなかった。僕はこうきいてやった。
『お前が俺と別れようというには、他に理由があるんだろう。たいてい俺も察している。はっきり云ってくれないか。』
すると蓉子はこう云うのだ。
『あると云えばあることはあるんです。けれど、そんなことおききになったって仕方がありませんわ。』
僕はこれをきいてかっとなった。
『馬鹿! 俺を盲目《めくら》だと思ってやがる。一体久子は誰の子だ!』
『何を云ってらっしゃるんです。』
蓉子はこういうと黙ってしまった。山本。これがほんとに僕の子ならすぐ答えるはずじゃないか。蓉子が何も云わないのは、いや、云えないのは、久子が僕の子でないという証拠じゃないか。」
「それからどうなったね。」
「僕はあまり不愉快だったから、黙って自分の部屋に戻ったんだ。そうして割れるように痛む頭を押えて、机に向って、どうかして心を落つけようと努力した。
そのうち蓉子も黙って床を敷いていた、僕は夜、側《そば》に人がいては仕事ができないので、妻子の隣室でねることにしてある。それで自分も蓉子に床をとらせて黙ったまま床に入ったのだ。それがちょうど十九日の十時頃だったろう。
さすがに蓉子もすぐはねつけなかったらしい。僕はしばらく床にはいっていたが、とうていそのまま眠れぬので、また机に向っていろいろ考えにふけったが、結局、蓉子を殺そう、という決心しかもち得なかった。
そうだ、この苦悶から逃れる方法は、ただ蓉子を殺すより他にはない。そうして自分も死ぬことだ、とこう思って僕は、ただそればかりを考えて、押入れからかつて
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