十里間の流域を『魚不棲《うをすまず》川』と名づけてみた。民謡二篇。
[#ここから2字下げ]
◇
上州吾妻
宿世の縁か
魚の棲めない
川もある
◇
魚の棲めない
吾妻川の
水を眺めて
暮らせとは
[#ここで字下げ終わり]
山間特有の美人郷
東京では素顔の女は滅多に見ることは出来ないが、ここでは皆素顔の女ばかりである。しかも美人の多いのは、山間特有の天恵であらう。民謡三篇。
[#ここから2字下げ]
◇
姉さ こつち見な
ちよいと顔見せな
頬の笑窪は
誰にもろた
◇
頬の笑窪は
お母さんがくれた
転んで失《なく》すなと
言ふてくれた
◇
切れる鼻緒の
下駄ならいやだ
ころびやお母さんに
しかられる
[#ここで字下げ終わり]
素顔の美人は見ることが出来てもさすがは山間のへき地だけに、東京で見るやうなモダン・ガールは見ることは出来ない。童謡一篇。
[#ここから2字下げ]
◇
モダン・ガール やい
ゐないか やい
ゐたら縞蛇
おつかけるぞ
縞蛇 やい
モダン・ガール やい
ゐないか やい
モダン・ガール やい
ゐたら縞蛇
おつかけるぞ
[#ここで字下げ終わり]
毒消売りの娘子軍
やがて中之条町についた。吾妻川はここで本流支流の二つにわかれてゐる。私は吾妻川の支流に沿ふて、四万街道を上つて行つた。四万街道は四里の間渓谷の中を川に沿ふてつくられた四万温泉への通路である。途中、越後から来た毒消売りの娘子軍と道連れになつた。娘子軍は世間ずれはしてゐるが、さすがは女である。
『越後出るときやヨー、涙も出たがヨー』なぞと懐郷の念にたへないといふやうな面持ちで歌ひながら歩いてゐる。民謡一篇。
[#ここから2字下げ]
◇
山にや霧立つ
雉子の子さへ
越後恋しか
ほろたたく
[#ここで字下げ終わり]
四万温泉の一夜
四万は渓谷の中のさびしい温泉場であるが、相当な設備の温泉旅館が数軒ある。私は田村旅館の三階から四万の全景を一眸の下に眺めてみた。吾妻川の支流は狭い谷川となつて旅館の前を流れてゐる。小さいながら川上には、小倉の滝、大泉の滝、日南見の滝等の名所がある。
夕霧は山をめぐつて、いつしか日は霧の中に暮れてしまつた。
丁度、その夜の丑満《うしみつ》頃である。やみをつんざいてけたたましいときの声が聞えた。ハテナと思ふ瞬間に、階上階下の廊側《らうがは》に右往左往するおびただしい足音も聞えて来た。私は『山賊の襲来』と直感して、すぐはね起きたのである。
四万温泉の丑の刻
丑満ごろに、闇をつんざいて聞えた鬨《とき》の声、ただならぬ廊側の足音、てつきり『山賊襲来』と思つたのは、丑の刻を知らせる田村旅館の番頭達の怒鳴り声であつた。童謡一篇。
[#ここから2字下げ]
◇
四万の田村の
番頭さん達は
ヨイヨイヨイサ
鬨の声あげて
丑の刻知らす
ヨイヨイヨイサ
夜の夜中だ
番頭さんも眠い
ヨイヨイヨイサ
眠い顔して
鬨の声あげた
ヨイヨイヨイサ
[#ここで字下げ終わり]
丁度この日は土用の丑の日である。丑の日の丑の刻に温泉に浸ると万病に特効があるといふしきたりから浴客に時刻を知らせたのである。親切な番頭さん達だ。童謡一篇。
[#ここから2字下げ]
◇
起きなお客さん
丑の刻ア来たよ
はやく起きぬと
丑の刻ア帰る
一度帰れば
今年は来ない
寝ぼはきらひだ
お寝ぼはいやだ
帰ろ帰ろと
風呂場を見てる
起きなお客さん
丑の刻ア来たよ
[#ここで字下げ終わり]
次の日、中之条まで戻つて、長野街道を再び吾妻川の本流にそふて出かけた。四万温泉の眺望は変化に乏しかつた。民謡一篇。
[#ここから2字下げ]
◇
四万でわく湯も
大利根川の
末にや流れの
水となる
[#ここで字下げ終わり]
関東の耶馬渓
中之条から原町、原町から郷原《さとはら》までの吾妻川にそふた街道は、麻畑の多い平和な農村である。民謡二篇。
[#ここから2字下げ]
◇
畑たたきたたき
土用かと聞けば
土用だ土用だと
麻がいふた
◇
麻の下葉が
落ちよと枯りよと
土用に刈らりよか
麻の木を
[#ここで字下げ終わり]
岩島からは対岸の山がせまつて来て、吾妻川は次第次第に急流となつて来る。岩島から川原湯までおよそ二里の間は、関東の耶馬渓と称されてゐるこの街道一の絶景であるが、吾妻川の水がすさまじい音を立てながら水煙を吹いて流れてゐるのを見ると、むしろ物すごい感じがする。民謡一篇。
[#ここから2字下げ]
◇
ここと銚子とは
五十里もあろに
水は寝ないで
流れてく
[#ここで字下げ終わり]
川底から湧く温泉
やがて長野県についた。吾妻
前へ
次へ
全3ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
野口 雨情 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング