たし、私も出来るだけお金の工面もしましたが、たうとう行きづまつて、はてはお座敦に行けばお客達から『石川石川』といつてからかはれお座敷の数もだんだん減つてどうすることも出来ないやうになつてしまつたのです。それに石川さんにはお母さんも奥さんも子供さんまであつて、お金に困りつつ小樽にゐるといふことを遠藤決水さんから聞かせられて、私は第一奥さんにすまないと思ひましたのでそれからは、心にもない不実な仕打をするやうになりました。それとしらない石川さんはその後私を大変恨むやうになりました。そこへまた社の社長(釧路新報の社長白石義郎氏のこと)さんも石川さんに意見をするやうになつたので、それやこれやで石川さんは釧路をたつ気になつたのでせう。
けれどもたつといつたとこで、一文の金の融通さへも出来ないまでに行きづまつてしまつた石川さんは、丁度その春の解氷期をまつて、岩手県の宮古浜へ材木を積んで行く帆前船に乗つて、大きな声ではいはれませんがこつそりと夜だちしてしまつたのです。
さあ石川さんが夜だちをしたとなると勘定の滞つてゐる料理ややそばやが皆私の方へ催促をするので私はよくよく困つてしまひました。仕方がないから社の社長の白石さんを尋ねて何とかして下さいませんかと頼みましたが、白石さんはぷんぷん怒つてゐて、てんで取り合つてくれませんでした。尤も石川さんが夜だちをする二日ほど前に
『「これから郷里の岩手へ行つて金をこしらへて来る。」といつてゐましたが、そんなことはあてにならないとは思つてゐましたが、さうでもしてくれればいいがとせめてもの心頼みにもしてゐたのです。けれどもここをたつてからは一度の音信もありませんから、釧路のことも、私のことも、もう忘れてしまつたのだと思はれます。』
と話して小奴は泪をさへうかべてゐました。私は小奴が気の毒になつたので、
『私が東京へ帰つたら、石川に早速話して石川を慕つてゐる君の心をよく伝へるから。』と慰めの言葉を残して旅館に帰つて来た。
その後東京へ帰つてから、東京朝日新聞社に石川を尋ねて小奴の話を伝へると、石川はきまり悪さうに笑ひにまぎらして何とも答へなかつた。同じその晩石川と銀座のそばや[#「そばや」に傍点]で一杯やりながら再び小奴のことを話しだすと石川も感慨無量の面もちでうなだれてしまつたので、もうそれ以上私は石川に小奴の話をする勇気がなくなつてしまつ
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