作者のみである。殷の祖先の中で夏の時代に並んで在るべき人の中では、相土が乘馬を制作し、王亥が服牛を制作したとせられて居るが、服牛の制作に至つて初めて農事といふことを聯想し得る。周の祖先の人々の中には、元祖の后稷並びにその外に公劉が農事に務めた樣に詩の大雅には出て居るェ、この傳説を打消すべき材料は、その子孫たる人々に皇僕、高圉、亞圉等の牧畜に關係ある人名の存することである。要するに多くの古書は禹の時代に農業が發達して居つたといふことを聯想せしめる材料が少い。それ故に禹貢の中に存する貢の事實はある程度まで信ぜらるゝとしても、賦に關することは容易に信ぜられない。殊に田字の意義は詩の時代まで尚ほ狩獵の意義を存して居る。これは田字の原義であらうと考へられるから、田より賦を出すといふ意義はその以後餘程發達した時代のことである。禹貢の編成から見ても、田賦の記事丈けは禹貢が出來上つた後に竄入されたものかも知れないといふことは、その篇名を禹貢と稱することに由りても推察し得らるゝのである。
貢、※[#「竹かんむり+匪」、読みは「ひ」、170−8]、包、※[#「はこがまえ+軌」、読みは「き」、170−8]に關する記載は、その他の草木、土産等の記事と共に禹貢の中でも尤も古質なる文辭であつて、貢※[#「竹かんむり+匪」、読みは「ひ」、170−9]は手工を加へられたる産物、包※[#「はこがまえ+軌」、読みは「き」、170−9]は天産物をいふが如き差異はあるが、大體に於いて射獵時代の産物を多く含んで居つて、その他の土産もこれに近きものである。他の部分には牧畜の記事もあり農業の記事もあるが、斯かるものは後から附け加へられたものと考ふることも出來るので、禹貢の根本の組立ては或ひは古くから傳はつたものであるかも知れないが、それを現在の禹貢の體裁に組立てたことはどうしても農業が發達した以後でなければならぬと思ふ。この記事を研究するに就いて他に參考すべきものは、周禮職方氏に九州の各々に其利、其畜、其穀として地方の産物を擧げてあることであるが、其利といふのは多くは天産物であり、やはり狩獵時代を代表し、其畜は牧畜時代を表はし、其穀は農業時代を表はして居る點は、禹貢よりは極めて規則正しく書いてあるので、同じやうなる材料が禹貢よりも後に編成されたと考ふることが出來るのである。逸周書の王會解並びにそれに附屬せる湯四方獻令といふものも甚だこれに類したもので、各地特有の貢物を夥だしく擧げてある。それ等の中には時とすると漢代でなければ知り得べからざる材料さへも含まれて居るが、大體に於いて戰國から漢初までの間に地理學の一種として産物に關する傳説が漸次に發展してこれ等の各種の記事をなしたといふことは明らかである。
土色に關することなども戰國から漢初までの間に完成した管子などの中には、これに類したことが含まれて居るので、やはり當時の地理記載の一部分と見ることが出來る。
以上を通覧すれば、禹貢を編成した材料は古書の中で禹貢特有のものといふことが出來ないのみならず、必ずしも他の材料が禹貢よりも新しいといふことも出來ないので、禹貢が早く存在して居つたが爲に地理學に關する他の記載が皆これを模傚したと斷ずることは出來ない。その類似し共通した他の材料は多くは戰國時代のものであるので、禹貢の中に時として戰國時代よりも古い材料を多少含んで居るとしても、その組み立てた時代並びにその中に含んで居る多くの材料は戰國以前にこれを上せることが難いと考へる。禹貢を研究するには先づこれ等の事柄を充分に知つた上で、これを相當した時代に置いて、然る後に古代經濟事情研究の史料とすることも出來るのである。
(大正十一年二月發行「東亞經濟研究」第六卷第一號)[#地より1字上げ]
底本:「内藤湖南全集 第七巻」筑摩書房
1970(昭和45)年2月25日発行
1976(昭和51)年10月10日第2刷
底本の親本:「研幾小録」弘文堂
1928(昭和3)年4月発行
初出:「東亜経済研究」
1922(大正11)年2月発行、第六巻第一号
入力:はまなかひとし
校正:菅野朋子
2001年9月21日公開
2001年10月20日修正
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