んとて、やり損ひて警官に捕へられしも見えたり。此のたびは泰然としてはかなふまじと、神澤子帽をぬぎ、時計、紙入、蝙蝠傘を我にあづけ、身構いさましく、エイヤツト聲はかけねど、人を割て入りたれども、雲霞の如き大勢、叶ひ難くや、消息いかにと氣遣ふ間に、早くも列車は笛を鳴らして立去れば、取り殘されし數百千人、烟をながめて茫然たり。神澤子汗になりて歸り、不覺を悔めど詮なし。やはか再度の敗をば取るべきと、此度は必死になりて逸早く、買ひ得たりしも、切符改めの木戸を通り越すが又一難なりき。こは我が身にもかゝることゝ、笑て神澤子の苦戰を傍觀したる氣樂さとは事かはれば、心に少し驚かざるにあらねど、直ちに一計を案じて、人のかたまりし中に身を投じて、推さるゝがまゝに進み行けば、何時とは知らず木戸口に推し出されぬ、今の世を渡る紳士とやらんいふ人々も、かくしてこそは成出でしならめと思へど、處世の上には、我にさる伎倆なし。
旅の恥はかきずてとや、旅は失策の少々あらんこそ後々までも興ある者なれ。汽車にての失策は、時の運り合せと諦めなん、三笠山の麓にてものずきにも神澤子と共に三條小鍛冶といふに立寄りて、色々見あらしたるは
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