する所なきを得ず、因て聊か篇末に附言すること此の如し。
余が此篇を出せる直後、已に自説の缺陷を發見せし者あり、即ち卑彌呼の名を考證せる條中に古事記神代卷にある火之戸幡姫兒、及び萬幡姫兒の二つの姫兒の字を本居氏に從ひて、ヒメコと讀みしは誤にして、平田氏のヒメノコと讀みしが正しきことを認めたれば、今の版には之を改めたり。
其外、「到其北岸狗邪韓國」の條下に
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此を以て此記事が任那の我國に服屬せる後に出でたるを推すに足る
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といひ、又篇末に
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此の二國(但馬、出雲)の服属は、始めて大和朝廷の海外交通を容易ならしめて、更に任那の服屬を導きたる者なるべし。魏志の記事は任那服屬の後なるべきこと云々
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といひしが、其後余は倭人が支那の戰國の末より漢代に至るまで、半島の南部に定住せしこと、山海經の記する所によつて推定し得られ、姓氏録に載する所、左京皇別吉田連の祖鹽乘津彦命が三己※[#「さんずい+文」、第3水準1−86−53]の地に遣されしは、半島に殘存せし倭人が、他族の壓迫に對して、本國に援助を請ひし者なるべしと考
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