串伎、即ち今の大隅國姶羅郡加治木郷なりとす。余は之を伊勢國度會郡棒原神社の所在地にあてんとす。谷川士清の和訓栞「くぬぎ」の條に云く、神名式伊勢國度會郡に棒原神社見ゆ、こは棒[#(ノ)]字字書の義に違ひたれば欅《クスキ》原にて訓もぬ[#「ぬ」に白丸傍点]をす[#「す」に白丸傍点]に誤りたる也社地今田[#(ノ)]邊郷淺管村に在り萬葉集に
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度會の大河のへの若歴木《ワカクヌキ》われ久ならば妹戀ひんかも
とあり。神名帳考證にも棒は欅字の誤也、久奴木の略語奴木原也、長谷街道也とあり。和名鈔に又度會郡沼木[#ここから割り注]奴木[#ここで割り注終わり]郷あり。
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彌奴國 吉田氏は薩摩國日置郡市來郷の湊かといへり。余は之を美濃國とす。
好古都國 吉田氏は之を好占[#「占」に白丸傍点]都に作り笠沙、即ち今の川邊郡加世田郷とす。余が見たる諸本、一も好占都に作れる者なし。故に舊に從て讀み、美濃國各務郡、若くは方縣郡を當つべし。備前和氣郡に香止[#ここから割り注]加加止[#ここで割り注終わり]郷ありて聲音はよく通へども、地勢の連絡なきを奈何せん。
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附記、松下見林の異稱日本傳には次有伊邪國より好古都國に至る二十一字を脱したり。本居氏の馭戎慨言にも同數の字を脱したるを見れば、本居氏は異稱日本傳によりて説を爲し、三國志の原本をも檢せざりしことを知るべし、其の力を用ひたる考證にあらざること明かなり。然るに其説のよく後人を動かせしは、一は後人の其名に眩せられ、一は國人の自尊心に投ぜしに由るのみ。
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不呼國 吉田氏は薩摩國日置郡日置郷とす。余は伊吹山の邊にある伊吹、即ち和名鈔の美濃國池田郡伊福とす。伊福吉部氏の占據せし地なるべし。
姐奴國 本居氏は之を伊豫國周敷郡田野郷とし、吉田氏は訓で谿とし、薩摩國谿山郡とす。是れ皆姐[#「姐」に白丸傍点]を以て妲[#「妲」に白丸傍点]と爲せるなり。然るに諸本妲に作る者なし。余は之を近江國高島郡角野郷とす。津野神社あり、川上郷廿餘村の産土神にして、都奴臣の祖、木[#(ノ)]角[#(ノ)]宿禰を祀ること、栗田氏の神祇志料に
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