ことに變つて來たのであります、いや變つて行つたのではありませぬで、近頃の言葉でいふとやはり王政復古の延長であります。つまり後宇多天皇のお考へになつた學問上の復古思想といふものは、もう一つ進んで行くと、後醍醐天皇のやうに更に進んだ思想になるといふことは是はきまりきつた事であらうと思ひます。後醍醐天皇のことを申上げずに斯ういふ風にばかり申しても分りにくいでせうが、それはあとでだん/\に申上げるとして、この後宇多天皇の復古思想といふのがよほど大事であることを御承知願ひたいのであります。
それから次の時代になりまするといふと、後宇多天皇のお子さんの後醍醐天皇が出られますが、不思議にも亦さういふ機運が大覺寺統にも、又持明院統にもあつたものと見えまして、どちらにもさういふ思想を持つた方が出て居ります。即ち北朝――持明院の方においても、花園天皇といふやうな方が出られて、後醍醐天皇と同じやうに革新的思想を持たれた樣に考へられるのであります。それがよほど不思議な現象であつて、ともかくも其時代といふものはよほど革新の機運が漲つて居つたといふことが分ります。併しこの革新機運は必ずしも最初から日本の文化の獨
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