て、學問もあり、地位もあり、才徳もあるものに授けてゐたのである、それが中古以來代々の家柄にやるやうになつたが、其家柄の内でも其才があり、其學問のあるものにやるのが正しき政道である、勳功があるからと言つて政治の事を知らない武人などに政治をやらせるのは大いなる間違である、つまり今日で言へば軍閥反對です(笑聲起る)。さう云ふ立派な見識を持つて居つたが、一面又却々新らしい運動もやつたものであります。勿論是は後醍醐天皇の思召でもありましたが、一體官職といふものは文武の道二なるべからず、公家が武職にも任ずるのが昔の法だとあつて、親房の子は多く武事に從ひ、自分も東國に在つて、戰爭をもした人でありました、さういふ風な却々面白い經綸を持つて居りました。併し日本全體の事では日本國家の根本は動かすべからざるものだとして、而も其動かない所が日本の尊い所だ、そこに日本といふものは天竺とか、支那とかいふものと異つた日本獨立の經綸もあり、日本獨立の社會組織もあり、日本獨立の學問思想もあるのだと斯う考へたのであつて、親房は殆ど當時の代表的の人物と言つていゝ、又一人で其當時の思想を代表して居つたと言つてもいゝのです。況
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