徐々に文化的思想的の自覺を生じつゝあつて、最近支那以外の文化並に思想を承け入れることになつてから、完全に支那に對して思想的に獨立したのである。しかし今日でも眞の日本文化が完全に形成せられてゐるや否やは頗る疑問であつて、思想の如きも、支那思想の拘束からは殆ど脱せんとしてゐるけれども、同時にまた西洋の思想の拘束を現に受けつゝある。文化の極度は藝術に於て著るしく現るゝものであるが、日本の繪畫に徴して之を見るも、古き支那繪畫の拘束は百年ばかり前から之を脱せんと努めたのであるが、縱し支那藝術の拘束を脱しても、其れが支那藝術と對抗する程の高い程度のものでなくして、單に支那藝術に地方色を加へたに過ぎないものであつては、眞に自覺し且つ獨立したものと云ひ難い。日本の寫生派の藝術の如きは、即ち其れである。しかも亦、最近に至つて其の藝術が動もすれば西洋畫の拘束に囚はれんとする傾きがあり、眞に日本の藝術の獨立は前途猶遼遠なる心地がする。尤も他國の文化の拘束を脱しないからとて、民族の生活を向上し、また其れを他の劣等な民族に感化を及ぼし、或は自己より先進の民族にさへも、却つて感化を及ぼすと云ふことは、絶無と云ふこ
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