とはなく、時としては、其れを以て自己の民族の文化だと考へることあるも、其れは嚴密に云へば決して民族自發の文化とは云ひ難い。
 斯く歴史的に日本文化の由來を考へると甚だ心細い感がする。しかし、是はまだ民族の若い爲めであると考へ、將來眞に成熟期に入るのであると考へれば、前途の希望は、また大なるものあるとも云はれる。たゞ前述の如く民族は必ずしも幼少から老年まで順當に發達するとは限らない。苗にして秀でず、秀でゝ實らざる民族があるので、日本民族を斯かる不幸の運命に遭遇せしめず、順當なる發達を遂げしめ、世界の文化に貢獻すべき一大勢力となすのが我々の責任である。
[#地から1字上げ](大正十一年一月五日―七日「大阪朝日新聞」)



底本:「内藤湖南全集 第九卷」筑摩書房
   1969(昭和44)年4月10日発行
   1976(昭和51)年10月10日第3刷
底本の親本:「増訂日本文化史研究」弘文堂
   1930(昭和5)年11月発行
初出:「大阪朝日新聞」大阪朝日新聞社
   1922(大正11)年1月5日〜7日
入力:はまなかひとし
校正:菅野朋子
2001年10月24日公開
2006年1月21日修正
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