と同じ樣に日本に於ても、兩部神道やら、唯一神道やらが如何に間違つてゐたかどうか知りませんけれども、兎に角其家の傳授を受けなければ正しいものとして承認されなかつたと云ふことは事實であります。それで神道は其の時分佛教の意味に於て解釋して、非常に考へ方が間違つてゐたと云ふ事は、徳川末期に神道を研究した人達の議論であります。これには種々の解釋の仕樣がありませうけれども、其の當時に於いては、佛教が日本に於ける最上の哲學でありましたから、最上の哲學に依つて神道を解釋したのであります。徳川時代の初から神道を儒教で解釋した人もあります。それから國學で解釋する人もありましたが、足利時代に於て佛教に依つて解釋すると云ふことは、つまり佛教が思想上の最上の權威であつたからであります。さう云ふことで暗黒時代の神道と云ふものは、殆ど完成してそれを握つて居たのが吉田家でありまして、それを日本中の神主に傳授した、此の傳授を受けなければ神道の權威がなかつたのであります、それで之は特に當時に於いて發明された所の一つの學科であります。つまり日本の古事記とか、日本紀とか云ふものは奈良朝時代からありまして、祖先の編成された歴史
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