それでありますから外國の學問を丸寫しにした時代では吟味が出來難い。そこで私は日本が昔の奈良朝、平安朝時代の支那人から受取つた所の文化を殆ど皆失つて、さうしてまだ徳川時代の支那文化の再輸入して來なかつた時代、日本が非常に戰亂に荒らされて暗黒の時代となつてゐた足利時代、特に應仁、文明以後に於て之を調べる必要があると思ひます。勿論さう云ふ暗黒時代は折角支那から輸入した多くのものを失つて居ります、其の當時の貴族の學者、例へば一條禪閤兼良と云ふ樣な學者がありますが、さう云ふ人達は戰亂の爲めに古來相傳の文化を失つたと云ふ事を非常に殘念がつて居る。勿論當時古來相傳の文化を失つた事は悲しむべき事であつたに違ひありませんが、さう云ふ樣に人から借着をして居た着物を皆脱いでしまふと云ふ時には、丸裸の姿を見るに極く好い時代であります。其の時代は日本が文化的素質を有つて居るかどうかと云ふことを見、さうして又それを吟味するに都合の好い時であります。
 然しそれを吟味するには一寸一通りの吟味の仕方では難しいのでありまして、色々な考へ樣をしなければならない。私はやはり支那の事を考へる樣に目録學の方から考へて見度いと思
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