てあるかと申しますと、佛教の研究です。佛教の研究といふのは、佛教を有難いものとして、近頃の人が禪學をやつて膽力を練つたりするやうな研究ではありませぬ。佛教を批評的に研究した日本で最初の著述であります。而もそれ以上の著述が曾て出來なかつた所の著述であります。その佛教の研究法といふものが非常にえらいものだと思ひます。この本が出來ましてから、佛教者の方でも大分騷ぎまして、隨分有名な人がそれに對抗する反駁を書いて居ります。京都のもと寺町にありました寺でありますが、了蓮寺といふ寺です、今はこの寺は引越して百萬遍の内にあります。今の住職は私共懇意でありますが、その寺の無相文雄といふ百數十年前の人は、淨土宗の非常な學者であります。淨土宗の學者といふことの外に、漢字の音韻の學については大したもので、この方では、日本で最初に學術的に研究した人と云つてよい餘程えらい人であります。この坊さんが、富永の「出定後語」を攻撃した「非出定」といふものを書いた。これは版にならず寫本で傳はつて居ります。これも前から搜して居つて、先年了蓮寺の今の住職に注意したので、今の住職の熱心で帝國圖書館で見付かりまして、今はその方の
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