如く讀書家で、又校勘の好きな人であつて、日本などの如く、金があつて、讀めない本を澤山蒐めるのとは違つてゐるので、多少財産のある人でも、全力を擧げて書籍を蒐める結果、晩年には多く貧乏になつて、自然に書籍を賣らねばならなくなる。黄丕烈なども、五十歳以後は大分金に窮したらしく、當時(嘉慶の末頃に)新に起つて來た藏書家、汪士鐘に色々な珍本を賣つたことがその年譜に見えてゐ、後に自分が賣つた本を、汪士鐘から借りて校勘したりなどしてゐる。勿論然うかといつて、古書を蒐めることを絶對に止めてゐるのではないが、一方賣りながら、一方買ひ集めてゐるのである。ごく晩年(道光五年)その六十三歳の時には、自分で本屋を開店してゐるが、到頭この年に亡くなつた。
前に言つた汪士鐘は、黄丕烈に引續いて有名な藏書家であるが、これも儀禮單疏を刻して世に弘めたので、今日でも吾々は、それがために非常な便宜を得てゐる。此人は元來は呉服屋であつて非常な金持であつたが、此人の藏書も間もなく散じた。この人の藏書の處は、藝芸書舍というたが、その散じた本は、常熟の瞿氏と、聊城の楊氏とに入つたので、此二家は今日支那に現存してゐる二大藏書家とい
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