れてゐる。ところが此人にとりて最も不運な事は、その藏書志が出來上つたのは四十一の年であるが、其前年に悉く其藏書を失ふことになつたことである。それは從子の張渙といふ者が張金吾に貸した金があるといふので、其の藏書十萬四千卷を盡く取上げてしまつたことである。張金吾はこの事を非常に悲しんで、「二十年間蒐めるに骨を折つて、散ずる時は全く一日一夜で失くしてしまつた、雲煙過眼遂にかくの如く速かなり」と言つた。そして「從來藏書家で水火の難に遇つた者もあり、兵亂に失つた者もあり、子孫が守ることが出來ずに、鼠穴蠹腹に失つた者もある。併し泥棒に強奪され、しかもそれが自分の親類から斯くの如き不心得の者の出たといふ事は、古來嘗て聞かぬことである。併しこの書籍の集散は常であつて、達觀者は必ずしも斯ういふ事を心にかけない。況や書目を作つて後世に傳へてをれば、その散じた書も矢張自分の書と同じ事だ。自分の目前にあつて、人の手にあるも自分の手にあるも、そんな事はかまはない。唯自分の從子の張渙は、本も讀み、詩文も作り、自分の土地でも自分の家は讀書家といはれ、從子も其中で眞面目な者といはれてゐたのに、どうしてこんな驚くべき無法の事をしたのか、それとも前から自分の本に思をかけてゐて、自分の本を奪ふつもりであつたのか、但し本が失くなつても藏書志が出來たら幸である」と書いてゐる。張金吾は不幸にも其翌年最愛の妻を失つた。張金吾は元來相當の財産を持つてゐたが、これらの事ですつかり貧乏になり、妻を失つた翌々年自分も到頭夭死をしたが、妻を失つた後は手づから金剛經を寫して、半年以上も日々それを讀誦してゐたが、間もなく自分も沒したのである。
 藏書家の中で張金吾は最も晩年不幸になつた一人であるが、大體藏書家といふ者は、自ら好んで讀み、且蒐める人に限りて、支那でも數代相續した人の殆どないといふ事、それから又讀みもしない藏書家は、却て數代相續してゐるといふ事は、一種の非常なる皮肉なことである。併し前にも言つた如く、支那人は自分の好むところを滿足しさへすれば、そのために財産を失はうが、晩年藏書が散亂しようが、そんなことを豫め考へずに、全力をつくして集め、藏書志を作り、或は又善本を飜刻し、藏書の效力を後世に貽すといふ事は、むしろ藏書家としての本望に叶つた事かも知れぬ。かういふ不思議の趣味は、近代の支那に於て發達したところであるが、日本に於ける藏書の趣味も、斯ういふ風に發達することを希望して善いか惡いかは別問題として、吾々が目前見るところでも、最近藏書の集散が激しくなるところから考へると、矢張支那の近代の跡を追ふものと考へられない事もない。(談話筆記)
[#地から1字上げ](昭和二年十一月「書物の趣味」第一册)



底本:「内藤湖南全集 第十二卷」筑摩書房
   1970(昭和45)年6月25日発行
   1976(昭和51)年10月10日第2刷
底本の親本:「目睹書譚」弘文堂
   1948(昭和23)年9月発行
初出:「書物の趣味 第一册」
   1926(昭和2)年11月
入力:はまなかひとし
校正:菅野朋子
2001年8月30日公開
2006年1月19日修正
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