當時盛に貢上せられた織物を緞子と稱することとなつたもので、今日の如き緞子はやはり明代以來のものであらうと想はれるので、其の名目が同じいからとて、此の織物を漢代迄上す譯には行かぬ。
宋代明代の織物の名稱は、文獻にも屡々現はれて居つて、之を實物に引き合はせることも割合に困難ではないと思ふ。殊に宋代以後に貴ばれた刻絲の如きは、即ち京都で謂ふ綴《つづれ》であるが、此等は※[#「ころもへん+表」、第4水準2−88−25]裝切などに使用せられて現存して居るので、之を文獻に引き合はすことが難くない。明代の織物などでも、一例を言へば、嘉靖年間、時の權相なる嚴嵩が失敗して家産を沒收せられた時に作られた目録があつて、それ等を見ると織物の名稱が隨分多く出て居る。斯の如きものを、今日に傳來して居る所の明代の織物に比較すれば、自然に其の一致點を見出すであらう。
大體織物も長い歳月の間に變化を經て、昔存在した織物で早くなくなつて居るものもあり、又後世になつて新に出來たものもあり、其の名稱の變化もあることであるが、此等を出來るだけ實物と文獻とを一致させることが、即ち織物研究の基礎を爲す所以であつて、從來の茶人等
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