て、過去のこと現在のことの資料として書く意見であつたので、それは沿革地理を書くといふ主義とは別個の考へであるが、隨分面白い考へである。
その外、この人も最も勝れた研究は校讐學である。校讐學は校讐通義に主に論じてあるが、これが即ち著述の源流を考へる學問であつて、一面から見ると書籍の目録の學問であるけれども、その目録の學問といふのは、單に書籍の目録を並べて分類するといふのではなくして、書籍の著述の意義から考へて、書籍の世の中に出て來るのを發生的に考へて、さうして分類法を考へたのである。必ずしも古代の分類が良くて、近代の分類が惡いといふやうに、昔のことばかりを尊ぶ意味から論じたのではない。勿論古代の分類が勝れて居つたこと、即ち劉向・劉※[#「音+欠」、第3水準1−86−32]などの分類が勝れて居つたことを論じて居るけれども、それは即ち劉向・劉※[#「音+欠」、第3水準1−86−32]が學問の流別といふことを知つて、著述の發生する次第に明らかであつたからであつて、劉向・劉※[#「音+欠」、第3水準1−86−32]時代に書籍を六部に分けたのが、後世になつて四部に分けられるやうになつたのは自然の勢で、これは已むを得ないといふことを十分に認めつつ、分類が如何にすべきものかといふことを、根本から研究して居るのである。これらも今日の目録學に取つても非常に有益なものである。
大體章學誠の學問は以上述べたやうに、今日から考へれば、史學を單に事實を記録する學問とせずに、その根本として原理原則から考へようとしたのである。その考へ方は哲學的であるが、しかしこの人の考へとしては、あらゆる學問は哲學が根本ではなしに史學が根本である。あらゆる學問は史學そのものである。史學の背景のないものは學問にならぬといふ意味で、總ての著述を批判しようとしたのが特別な點である。これらの考へは文史通義を通讀して、精細にその組立ての仕方を考へると判るのであるが、粗雜に讀み去つたのでは、これだけの精密の組立ては判り難いのであるから、支那のこれを崇拜する學者達でも、なかなかこの人の眞意を得ることはむつかしいのであつて、漸く最近に至つて幾らか西洋の學問をした人達によつてその眞價が認められるやうになり來つたのである。で史學のみならず學問の見方から言つて、この人の學風といふものは今に於て生命があるものと考へられるので、ともかくこれを今日の學界に紹介して置きたいといふのが自分の本旨である。
底本:「内藤湖南全集 第十一巻」筑摩書房
1969(昭和44)年11月30日発行
1976(昭和51)年10月10日第2刷
底本の親本:「支那史學史」京都大学支那史学史講義
未刊
初出:大阪懷徳堂講演
1928(昭和3)年10月6日
「懐徳」第八号に講演録所収
入力:はまなかひとし
校正:菅野朋子
2001年7月9日公開
2004年2月4日修正
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