貢、洪範、微子、金縢諸篇を載せてゐるのには古文説が多いと言つてゐる。此に由つて觀れば司馬遷の當時に此等の諸篇は今文説で解釋することにしては、頗る薄弱であつたといふ事が知られるのである。而して此等の諸篇は皆大體に於て周書の大部分の如く或時の或事件を單純に記したものではなく、多くは長い間に亙つた事件の始末を編纂したものであり、而して其内容に立入ると、堯典、禹貢、洪範は一篇の中に幾多の異つた材料が混じてゐて、長い間に亙り變化した時代の思想を含んでゐるものなることがわかる。それで此等の各篇は兎も角書籍編纂の技巧が儒家の間に出來てからのものなることが想像せられる。又其中に插まれてゐる甘誓湯誓は一種の韻文であつて、これは春秋戰國の頃に暗誦で傳へられたものなることを知るに十分である。斯くて此等の諸篇は洪範以後の各篇、即ち五誥を中心とし周公の言辭を主として書いた各篇とは、全く別の體裁のものであることが明かである。
是に由つて想像し得らるゝ事は、此等の諸篇がやはり儒家思想發展の各時代を段々に現はしてゐるものでないかといふことである。孔子の政治に關する理想は周公の制度の復活にあつたらしく、吾東周を爲さん
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