なる部分に入れられたのであつて、文辭から言つても、典謨中皐陶謨は最も新らしき要素を含んだものであると思ふ。
以上述ぶる所を總括すれば、尚書は最初周公に關する記録が其中心であつたものと想像される。尤も今日の五誥は儒家が持ち傳へてゐる間に各の時代の語を以て古語を取り替へた跡があるのであつて、それは例へば史記が訓詁の詞を以て本文を替へたことが、古文今文の議論を外にしても確かに考へらるゝと同樣である。此等の篇が現存の毛公鼎や其他の金文に比すれば文從字順で讀み易い傾のあるのは即ちそれが爲めであると思ふ。而して儒家思想の發展に伴ひ、次第に本文に變化を來したのであつて、其の初め魯を王とする説、孔子を素王とする説であつたものが、他の諸子との競爭上、道統を古きことにする必要より典謨の諸篇が附け加へられ、儒家が六國に用ゐられ、曲學を爲す必要より、甫刑以下の各篇が順次に附加せらるゝに至つたものであらう。此變遷は既に伏生が尚書を世に出す前に於て行はれつゝあつた所で、その間には儒家の傳へた尚書と墨家の傳へた尚書との間に相違ある如く、儒家の間に在りても各分派によりて夫々異つた本文を傳へてゐたのであるが、それは漢以後伏生の尚書によつて統一された爲めに、他の者は皆形を失つてしまつたのである。これだけの變化のあつたことは、尚書を研究する際、先づ考へて置く必要があらうと思ふ。
以上の如き方法を以て他の經籍をも順次に研究し、從つて其間に自然に儒家思想の發展史を見出す事が出來たならば、茲に始めて先秦古籍の研究が完全に出來上るであらうと思ふ。而して此等の事業は予が吾黨の諸君に向つて厚く望む所である。
[#地から1字上げ](大正十年三月發行「支那學」第壹卷第七號)
自注
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(一)孟子縢文公上に決汝漢排淮泗而注之江とあり、今の尚書禹貢では江水と淮水とは各々獨立して海に入るので、相通ずることがない。閻若※[#「王+據のつくり」、第3水準1−88−32]は四書釋地續に於て、朱子の説に從つて孟子が一時の誤記に出でたものとしたが、錢大※[#「日+斤」、第3水準1−85−14]は孟子ほどの人が禹貢を讀み能はなかつた筈がないといつて、呉淞江、錢唐江、浦陽江の三江さへ江の委であるから、五百里位の距離の淮口も江の下流とするに何の疑があらうといつて、從來學者が淮泗が江に入らぬ證據として擧げた禹貢の沿于江海、達于淮泗の二句を、反つて淮泗が江に注ぐの證とした、焦循の孟子正義は趙注の決、排兩字の注を據として、下流の注入でなく、上流の交會であると、巧妙に解釋したが、要するに皆禹貢が孟子より古く、孟子が之を見ぬ筈がないといふ前提から發したもので、本來は孟子の説が禹貢と違つて居ると見るのが穩當で、孟子は禹貢を知らなかつたと考へて差支ない譯である。墨子の兼愛中篇にも禹の治水を敍して、南爲江漢淮汝東流之注五湖之處以利荊楚于越南夷之民とあれば、禹の治水に關する傳説に、自ら此一派があつて、禹貢とは異つた尚書があつたのであらう。
(二)宋の王柏は論語の堯曰篇首の二十四字を堯典の脱簡なりとして、舜讓于徳弗嗣の下に補つた、又同篇の曰予小子履以下四十六字は、墨子兼愛篇に引ける湯説と殆ど一致し、(論語の孔注には墨子に湯誓を引けるといつて居る)雖有周親以下四句は、兼愛篇の武王が泰山隧に事ふる祝詞と粗ぼ同じである。又墨子に引ける尚書には呂刑、大誓、仲※[#「兀+虫」、第4水準2−87−29]之誥等、今の尚書と同名の者の外に、今の尚書と異名同實の禹誓(甘誓)武觀(五子之歌)等があり、同名異實の湯誓などがあり、今の尚書に全くなき術令、相年、禽艾、湯之官刑、禹之總徳等もある。
(三)朱子語類卷第八十二に左傳是後來人做。爲見陳氏有齊。所以言八世之後。莫之與京。見三家分晉。所以言公侯子孫必復其始。
(四)一二の例を擧げて見ると、
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左傳宣公六年、晉の趙盾が靈公を弑せる事の傳は、公羊傳、國語晉語、呂氏春秋過理篇などに出て居り、同十三年の楚の莊王が宋を圍んだ事の傳は、公羊傳、韓詩外傳、國語晉語、呂氏春秋行論篇などに出でゝ居り、成公四年の梁山崩の傳は、公羊、穀梁二傳國語晉語などに出でゝ居り、或は説話に變化があり、或は思想にも異つた點がある。
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(五)蘇東坡の洪範に關する説は、東坡書傳に出でゝ居る。東坡は洪範の外に、康誥洛誥に就ても異見がある。余※[#「壽/れっか」、第3水準1−87−65]が洪範を改正せんとした事は宋の※[#「龍/共」、第3水準1−94−87]明之の中呉紀聞卷二に見えて居る。
(六)王柏の説は其の著なる書疑に出で、堯典、皐陶謨、益稷、洪範、多方、立政諸篇に於て、皆其の錯脱に注意し、己
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