と殆どその文句迄相類似したことが載つて居ります(10)。それから前に申しました畝に税することに關する公羊傳の論に、十分の一といふものは理想的租税であつて、十が一より重いものは大桀、小桀、十が一より輕いものは大貉、小貉であると云ふことを言つて居りますが、それは孟子と大體に於て同じことを云つて居ります(11)。さういふ點は、どつちが――孟子が原ですか、公羊傳が原ですか、そこは分りませんが、ともかくそれは大した時代の相違がないものと考へられまして、つまりは同じやうな思想をこの二つは持つて居つたものと考へられます。尤も公羊傳には又もつと獨特の歴史思想があります。それが三世――佛教の三世ではありませんが――公羊傳の三世思想でありまして、「所見異辭、所聞異辭、所傳聞異辭。」といふことがありまして、それによつて春秋の時代を三つに分けて、亂世からして段々升平の世、泰平の世と進んで行くといふ思想があります。これは立派な一種の理想的な歴史思想であります。かういふのは、後になつて出て來た所の綜合的歴史思想でありますが、公羊傳の中には隨分讖即ち豫言に關する考へも載つて居りまして、それで春秋の出來た由來を一つの豫言と見る考へもあるのでありますけれども、一方にはさういふ宗教的な考へがあるかと思ひますといふと、一方には理想的に非常に進んだ歴史思想を有つて居ります。今申す三世思想などがその最も進んだ歴史的思想であります。
 かういふ風に考へますと、支那の歴史的思想の起源、それからして段々發達して來た迹といふものは、第一實際の事實に於て三代といふ王朝の變り目を感じたこと、それから禹が水土を平げてその上に國をつくつて以來、三代の變化があつたといふことの考へが行はれて居ること、それから社會的なことと致しましては禮俗の變化、宗教的な考へとしては災祥・卜筮・夢の人事との因果關係、さういふ風な色々な思想が根源になりまして、それから最後に綜合的な史學思想即ち孟子の一治一亂、公羊の三世といふやうな思想に發達をして來たといふことになるだらうと思ひます。勿論それらの歴史思想と、それに出て來る所の事實とを綜合して、さうして立派な歴史を作り上げたのは、それは漢の時代の司馬遷でありまして、史記の十二諸侯年表の序の贊に、自分の歴史を作つた所の由來を述べて居りますので、これに古來の歴史の思想なり、材料なりを蒐める方法を言つてあ
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