ふ、何だか如何にも近頃の演題としては、ひどく氣の利かない題目であります。近頃はかういふ風な幼稚な題目は流行りませんで、皆凝りに凝つた題目ばかり流行つて居つて、題目を見ると、何の内容があるのか分らんやうなのが流行りますけれども、至つて分り易い題目であります。
 實は私の支那史學史といふものは、抑※[#二の字点、1−2−22]それを始めましたのは大正三年頃でありますから、今から十九年廿年前であります。それを訂正して二度繰返しました。それで二度目の時でありましても十數年前で、多分大正八・九年頃から二年か三年續けてやつて居ります。その後訂正は一通りはしてあります。大正十二年、私大病をした後に有馬に暫く居りました。その時に筆記の訂正だけは致しましたけれども、之を出版する程の訂正をするのは、もう少し暇がかかりますので、其の儘に打つちやらかして今日迄發表をしないのであります。
 さういふ譯で隨分研究とすれば、もう黴の生えて居る研究であります。その時に大體この支那の歴史の起源といふやうなものに就いて色々研究をして見ました。或はその中の研究で、私が先にやつたことを後に王國維氏がやつたのが、今日では王國維氏の創説のやうになつて居る部分なんぞありますが、ともかく一通り歴史の起源といふやうなことに就て、その時考へて見たのであります。その時講義しました歴史の起源は、多くは史料の起源、記録の起源といふやうなものに就てやりましたので、餘り歴史的思想の方の起源はやつて居らなかつたやうに思ひまして、それでその部分が缺けて居ると思ひまして、後《あと》でその要領だけを補つてその筆記の中へ挾んで居つたと思ひます。大分老衰の加減で記憶が惡くなつておりますから、間違つて居るかも知れません。
 實は起源と申しましても、起源といふ方がよいのか、或はその歴史的思想が段々發達して居る徑路に及んで居るのでありますから、歴史的思想の發達と云ふ方がよいかも知れません。ともかくさういふ方のことに就て、色々の材料に就て考へました。
 第一は比較的正確な記録の中に見えてゐる歴史的思想であります。支那の古記録、例へば經書といふやうなものでも、絶對に正確といふことを申しますのは餘程困難であります。先づ比較的正確と言ふより外致し方ありません。それでつまり尚書などが最も比較的正確な記録であると思ひますが、その尚書の中に、又最も比較的正確
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