水東注。維禹之績。
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といふ言葉が出て居る。つまり禹が水土を平げたといふことの考へは、この頃現はれて居るのであります。又大雅の韓奕の篇に
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奕奕梁山。維禹甸之。
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かういふことが現はれて居ります。それからその外にも、魯頌の※[#「門+必」、読みは「ひ」、第3水準1−93−47]宮編には「奄有下土。※[#「糸+贊」、読みは「さん」、第4水準2−84−63]禹之緒。」とあり、商頌の長發篇には「洪水芒芒。禹敷下土方外。」とあり、同じく商頌の殷武篇には、「天命多辟。設都于禹之績。」とありまして、皆この禹に關したことが現はれて居ります。かういふ詩が一體何時の頃に作られたか、それが分るのも分らないのもありますけれども、殊に商頌などの作られた時代は餘程はつきり致しませんのでありますけれども、今この中で一番作られた時代の分るのは魯頌でありませう。これは主に魯の僖公のことを言つてありますから、それで僖公以後に作られたことは確かでありまして(4)、その作者の名まで傳へられて居る位であります。さうしますと、これらの禹の説話は魯頌以後に作られたのではないと言つてよからうと思ひます、少くとも魯頌の出來る頃以前のものでありませう。その他の大雅の二篇もやはり少くとも西周の末頃から東周の初めの間に出來た詩篇であります。又尚書の中で禹のことを申して居りますのは、虞夏書である所の堯・舜・禹のことを特別に書いた部分、それから又洪範などの如くやはり禹から傳へられたといふことだけ特別に書いたものは別としまして、周人の言葉で禹に關係したものと申しますと、やはり先程申しました立政篇にかういふ文句があります。
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陟禹之迹
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この文句は大體詩經の中にある文句と餘程よく似て居ります。この「迹」の字が詩經の方では「績」の字になつて居りますけれども、ひよつとすると、かういふのは昔同じ音の字であつたので、同じ意味であつたのではないかと思ひます。同じやうな例は又魯頌の中に
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※[#「糸+贊」、読みは「さん」、第4水準2−84−63]禹之緒
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といふ文句がありますが、これが金文の有名な齊侯※[#「溥」の「さんずい」に代えて「かねへん」、読みは「はく」、第3水準1−93
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