見れば内容の分るものがある。例へば鄭景岫の南中四時攝生論などは、名を見れば分るものを崇文總目は解釋してゐる。陳昌胤の百中傷寒論なども名を見れば分る。それを百中は必ず癒る意などと解してゐるのは愚である。隋書經籍志などは、人の姓名のみを書いて、つまらぬ解題をしてゐない。ただ歴史の部の中で、雜史だけは混雜が多いので注釋をしてあるが、分り易いものは注釋してゐない。最も分りにくいのは覇史である。分裂した時の列國の歴史であるから説明せねばならぬ。趙に前趙・後趙があり、涼に北涼・西涼があり、混雜し易いために一一注釋してある。唐書藝文志は注釋すべきものも注釋しない。崇文總目はすべからざるものにもしてゐる。これ皆目録の體を失したものであるとする。文集類の分類法についても色々議論をしてゐる。
 かかる分類法の混雜については、元祖たる二劉にさへ不滿を云ひ、七略などでも、よく出來てゐるのは專門家の作つた部分で、例へば兵略は任宏が作り、數術は尹咸、方技は李柱國が作つたから、この三つはよく出來てゐる。劉向父子の作つた三つは無駄があり、混雜もあり、出來が惡い。又文字の本だけを集め、圖譜を集めないのは、二劉の胸中に分
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