「瑁のつくり+力」、第3水準1−14−70]が目録を作る頃に始めて發見されたもので、荀※[#「瑁のつくり+力」、第3水準1−14−70]は目録を作る時に、汲冢の竹書――汲郡の塚から竹書紀年・穆天子傳などの書が出た。但し今日のものはもとの形ではない――を特別に丁部の末に附載したものの如くである。荀※[#「瑁のつくり+力」、第3水準1−14−70]は當時の物識りであつた張華とともに、この目録の整理をしたが、大體は劉向の別録により、錯亂せるを整理し、汲冢書を加へて作つたといふ。このことは文選の中の王文憲集序の李善注に見えてゐる。
 その後、四部の目録を採用したものに、梁の任※[#「日+方」、第3水準1−85−13]・殷鈞の二人で作つた四部目録があると云はれ、この時、書籍が文徳殿に集められたので、四部目録の外に文徳殿目録を作つたといふが、その四部の分け方は傳はらない。ただその術數の書だけは別に一部としたので、梁の目録は五部になつたと云はれるから、この四部は荀※[#「瑁のつくり+力」、第3水準1−14−70]の四部とは多少異つたものである。

       簿録に墮した四部分類法

 かく書籍を
前へ 次へ
全111ページ中38ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
内藤 湖南 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング