似たり、といふのがある。この「似たり」といふことは、皆向が書いたのかどうか分らぬが、他の本、例へば禮記の中の雜記の正義に、別録を引いて、「王度記似齊宣王時淳于※[#「髟/几」、第4水準2−93−19]等所説也」とあり、又漢書藝文志の神農二十篇の處の顏師古の注に、別録を引いて「疑李※[#「りっしんべん+里」、第3水準1−84−49]及商君所説」とあり、これはまだ向の別録の亡びない當時に見た人の云ふところであるが、之より推せば、今日の藝文志の「似たり」といふのも、向の説をそのまま取つたのであらう。これは藝文志の中に色々あり、本の名が古くても、書いた時代は新らしいことを考へたのである。神農といふ古い名があつても、戰國の時の説を書いたものと考へ、黄帝何々といふ書を六國の時のものと斷じたのもこれである。これらは批評判斷で、向の目録學に評論の意を含んでゐることが明かである。
(十七)準經義 向の序録を見ると、例へば戰國策の評論などに、戰國の時の人が、色々その國の爲め策略をするに、道に外れたといふことを云つてゐる。その道は、孔子の經書の義理をもととして論じてゐるのである。
(十八)徴史傳 現在殘つて
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