、書籍を校讐する時、同じもので違つた文のある時は、原文と違つた文と兩方を書くこと、又漢書藝文志は七略を取つて直したが、その直したことを注に斷わつてあるから、七略の體裁の大體は今日でも分ることを云つてゐる。
 次に本のなくなつたもの、缺けてゐるものの目録を書く必要をも論じてゐる。ただ時として彼にも誤りがあり、缺けた本を論ずる時、舊唐書經籍志に唐の時の主もな人の詩文が載つてゐないが、これは當時の遺漏ではなく、經籍志のもとになつた本が載せなかつたのであらうと云つてゐる。これは誤りではないが、舊唐書經籍志は天寶以後の人のものは經籍志に載せず、著者の本傳に載せることを斷わつてあるのを忘れたものである。
 最後に藏書といふ議論がある。これは今日、往々普通の藏書にはなくなつてゐる儒教の方の本が、道藏・釋藏の中に殘つてゐるのがある。これは道藏・釋藏には、本を一つに纏めて藏とする藏書の法が備はつてゐた爲めである。普通の漢籍は一箇所に纏める法がないから散逸する。道藏は多く道觀に、釋藏は大抵は寺にしまつてある。漢籍も尼山泗水の間(曲阜)に一大圖書館を作つて藏しておけば、帝室の本が時になくなつても、それで缺を補へるとて、民間に大圖書館を作る必要を論じた。
 以上が彼の校讐學の大體である。その他は漢書藝文志につき論じ、鄭樵が漢書藝文志につき論ぜることを論じ、又焦※[#「立+(宏−宀)」、第4水準2−83−25]の漢書藝文志につき論ぜることを論じ、又七略の中の六略の分類につき一一論じてある。ともかく目録學をこの人の學問の流儀として、歴史的に根本から學問として組立てることを考へた。支那風の目録學は彼に至つて大成した。

       章學誠の祖述者

 章學誠の學問は、久しく祖述する人がなかつたが、現存の人で之を祖述するものに張爾田と孫徳謙の二人がある。張爾田には史微の著があり、孫徳謙には諸子通考(未完)・漢書藝文志擧例・劉向校讐學纂微の著がある。しかしこの二人は章學誠の如く、一種の學問の組立てを自己に持ち、すべての學問に歴史的根據を與へ、目録學にも歴史的根據を與へて、それから分類の法を考へる根本の思想には十分觸れてゐない點もある。



底本:「内藤湖南全集 第十二卷」筑摩書房
   1970(昭和45)年6月25日初版発行
   1976(昭和51)年10月10日初版第2刷発行
入力:はまなかひとし
校正:土屋隆
2006年7月19日作成
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