くて、歴史の體裁は段々整つたが、歴史を書く精神は衰へる一方であつた。ともかく、しかし唐初までは、昔からの歴史編纂の方法がいくらかそのまま傳はり、歴史を家學とする風も多少遺つてゐた。
唐初に歴史の評論が起つた。勿論史學に關する評論は、史記以來多少それに關する評論があり、中には後漢書の著者范曄の如く、自分の著書に自ら評論する人すらあつたが、一般に歴史を通論することは、梁の劉※[#「協のつくり+思」、第3水準1−14−73]の文心雕龍より始まる。唐初に至り劉知幾の史通が出來て、その時までに出來たあらゆる歴史を評論するに至つた。この史通の評論は、當時並びに後世に影響を及ぼし、古來歴史を評論したものとしては、これが一番有力なものとせられる。この書は單に前代の歴史を評論したばかりでなく、後世の歴史に對し、如何なることを注意して書くべきかを示した處があり、この點が卓見であると云つてよい。殊に志を論ずるにつき、從來の志の外に、都邑志・氏族志・方物志を新たに作るべきことを論じてゐる。都邑は國の盛衰に關係があり、氏族は六朝より唐にかけて氏族の盛であつた時であるから注意したのである。方物は各地の物産等のことである。近代になつて史通を批評し、その餘計な處を削つた紀※[#「日+(勹<二)」、第3水準1−85−12]の史通削繁は、この三志を作るべしといふ劉知幾の議論を削つたが、實際は史通以後歴史を作る人がかかる點に注意した證據がある。新唐書の中に宰相世系表があるが、これは氏族志の論から出たものである。又宋代の鄭樵の通志の中に二十略があり、これは各時代の歴史の志に當るものであるが、その中に都邑略・氏族略があり、方物志の代りに昆蟲草木略がある。かくの如く、劉知幾の説は後まで影響があつた。彼はよく人を罵倒する風があり、その批評は酷に過ぎると云はれるが、古來の歴史を通論し、將來の道をも示したのは、よほどの傑作と云はねばならぬ。この史通が出來て、史記以來唐迄の歴史の總論が出來た。この以後歴史は別の時代に入るが、その間に隋書經籍志や史通などにも注意せぬことで、史學史上注意すべきことがある。
一つは歴史の事實を紀傳とか編年とかの體裁で取扱はずに、類書の體裁で取扱ふことである。これは漢以來この傾向があり、多くは帝王が歴史事實を知るための備忘録として作られた。例へば劉向の説苑・新序・烈女傳等がそれである。こ
前へ
次へ
全18ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
内藤 湖南 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング