に復して、さうして其の本の源流を論じ、其の本の得失を論じ、それから何處が亡くなつて居るとか、存在して居るとかいふことを論じてやるべきことで、單に鄭樵のやうに解釋を省いて、書名だけを書いて置けばよいといふやうな議論はいかぬと言つて居る。此の人の議論は勿論鄭樵の議論に刺戟されて出來たのでありますけれども、鄭樵のよりは一段と意見が進歩をしまして、さうして支那の本はどういふやうにして出來上つたか、目録はどういふやうに編纂すべきものであるかといふことまでも根本から論じておりまして、支那の目録に關する意見としては、最も完全に、最も明快なものであります。それで今日に於て支那の目録の學問を知らうといふのには、どうしても此の章學誠の文史通義、殊に校讐通義といふものを讀まなければならぬと思ひます。私がこれまで段々申しました所の大體も、謂はゞ其の全體は校讐通義の敷衍をしたやうなものでありまして、一々特別に自分の考で言つた譯ではありませぬ。しかし何處が章學誠の議論で、何處が私の敷衍した處であるかと言はれると、一寸明かに御答が出來ませぬが、大體私は章學誠の本を平常愛讀して居りまして、常に記憶して居る所に依つて大體お話をいたしました。
 つまり支那の目録といふものは如何に變じたか、昔と今との得失はどういふものであるか、目録學はどういふやうに成立つて居るかといふことを、大體申上げたつもりであります。尤も此の外の支那の目録には、佛教の目録が大部分を占めて居ります。さうして佛教の目録は完全に出來て居る。どの點から見ても搜し出せるやうな方法を取つて居る。書名から引出せる、佛教の本は大部分は飜譯でありますから、飜譯者の方からも引出せる、有らゆる方面から引出せるやうに進歩して居る。これは目録學を離れて、檢索の方から申しますと、開元並びに貞元の釋教録などゝいふものは、大變進歩した方法を取つて居ると思ひます。これに就ては、勿論特別に論ずる價値は十分にあります。しかしながら佛教の目録を論ずるといふことは、手數のかゝることでありまして、私はそれに暗いのであります。今日は私の平生承知して居る事柄に依つて、其の大體を茲に申述べた次第であります。長い間清聽を涜しました。
[#地から1字上げ](大正二年大阪府立圖書館に於て圖書館協會大會講演)



底本:「内藤湖南全集 第十二卷」筑摩書房
   1970(昭和45)年6
前へ 次へ
全19ページ中18ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
内藤 湖南 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング