はつまり亡くなつた本の目録を傳へて、之を搜す便りにする方法の或る點を復興したのであります。
 それから其の次には、この分類の性質といふものゝ大切なことを論じて居る人があるのであります。分類の性質によつて昔の本の意味をどういふ風に解釋したかといふことの大切な參考になります。手短かに申せば易であります。易は後世の學者によつて之を解釋されまして、あれは單に卜筮をする爲の本である、或はさうでない、あれは其の中に含まれて居る義理が大變に尊いのであつて、單に卜筮をする爲に出來た本ではないといふ爭論があります。所がこれは漢書の藝文志、即ち劉向、劉※[#「音+欠」、第3水準1−86−32]の分類の法に依つて、當時の人がどういふやうに解釋して居つたかといふことが分るのであります。さういふことは、目録の分類の仕方に依つて利益を得ることがあります。これはやはり古い目録のやり方の大切な所であります。劉向、劉※[#「音+欠」、第3水準1−86−32]の見方に依ると、易はやはりその時代には之を義理の書として考へられて居つたといふことが分ります。それはどういふ譯かといふと、劉向、劉※[#「音+欠」、第3水準1−86−32]の七略の中には數術といふ部門がありまして、數術といふ中に占ひの本が載つてある。それは筮竹で占ふことも、又は龜の甲を灼いて占ふことも書いてある。易が單に占ひの本であるとすると、數術の方に入るものである。然るに之を數術の方に入れないで、經書の中に入れてあるのは、卜筮の本として用ひたばかりでなく、中に含まれて居る義理を尊んで居るといふ證據になるものと思はれます。さういふ點は、古い分類の仕方が古い書物の解釋の仕方に影響するのであります。後世になりましては、大分其の分類の大切な意味が失はれました。
 これが先づ古い目録と新らしい目録との大體の比較のお話でありますが、勿論前にも申します通り、劉向、劉※[#「音+欠」、第3水準1−86−32]が目録を作りますには、一つの立派な著述としてやつたので、單に編纂した意味でないといふことを申しましたが、よくその意味を考へて行くと、其の時に既に目録學が立派に出來上つて居るのでありますけれども、それが段々支那に於て次第に其の意味が無くなつて墮落して來ました。其の目録の學問を復興した有力な人があります。南宋の時に鄭樵といふ人があります。通志を書いた人で、此
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