致する言語があるか否かを檢し、其の一端を一度京都大學の言語學會で發表したことがある。當時余は別に稿本をも留めなかつたが、之に就いては他日一の研究論文として學界の批判を請ふべき機會があらうと思ふ。それから今一つの研究方法は爾雅を以て普通に傳へられてゐる如く諸經に對する辭書として、爾雅そのものゝ成立と同時に、諸經の發展をも相關係せしめて考へることであつて、其中の言語が如何なる時代若しくは地方のものであるかと云ふことも或る程度までは考へ得られるので、其の編纂された次序、意義等から推して、某の時代、某の地方の言語を含む經籍が、やはり某の時代、某の地方に於て竄改されたのでないかといふことを斷ずる資料とするのである。此方法に就いては余は久しき以前より興味をもつてゐたが、近頃此の方法に依つて少しく研究を試みた所があるので、猶ほ不完全ではあるが、兎も角其得たる所を發表して吾黨諸君の批判を請ふことにしよう。
 爾雅の成立に就いては、舊來の註疏などの説では、皆其の初を周公に歸してゐて、郭璞の序にも爾雅は蓋し中古に興り漢氏に盛なりと言ひ、※[#「形」の「彡」に代えて「おおざと」、第3水準1−92−63]疏に
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